羽黒山・大峯山と並ぶ修験道の霊山として知られる英彦(ひこ)山。平安初期には日子山が使われたが、嵯峨天皇の勅命で彦山と改め、江戸時代の零元天皇から英の尊号を受けて現在の表記になったとされる。山上は北岳・中岳・南岳の三峰からなり、中岳に英彦山神宮の上宮が祀られている。大きく立派な社殿が建つので上宮岳ともいう。元来はこのピークが最高峰だったと思われる。現在は南峰がわずかに高い。北岳は豊前坊(高住神社)の背後にあり、逆鉾岩など特徴的な岩場が点在する。なかでも、望雲台からの眺望がみごとで寄り道するだけのことはある。 日田市(大分県)から添田町(福岡県)の彦山駅に着いたのは昼前だった。宿の車で豊前坊(高住神社)まで送ってもらうことになり、鷹ノ巣山からスタートする。典型的な溶岩ビュート(テーブル状の岩山)で、国の天然記念物に指定され、耶馬日田英彦山国定公園の特別保護地区でもある。薬師峠の登山口から取り付くと、すぐに一ノ岳の岩場が出てくる。その後は急斜面や岩稜が連続し、フィックスロープが張られたルートは一般コースとしてはなかなか厳しい。三ノ岳は岩の擁壁に守られており、基部をトラバースして東側から取り付く。帰途はトラバース道で戻った。 行場の雰囲気を感じさせる豊前坊(高住神社)から北岳に向かい、シオジ林やブナ林を通って中岳に登り着く。山頂の上宮は倒壊の危険があるため、残念ながら近づくことができない。離れた場所から拝礼した。一等三角点のある南岳を往復し、中津宮(中宮)・下宮・奉幣殿へつづく参道を下る。標高1,000m前後を境に、上部は安山岩。下部は凝灰角礫岩と地質が変わる。火山活動の違いによるものだろう。途中に産霊(むすび)神社(行者堂)や稚児落など、英彦山の歴史を彷彿させる見どころが点在する。「雪舟庭園」と呼ばれる旧亀石坊庭園に寄り道して、宿舎には夕日が傾く頃に着いた。 翌日は岳滅鬼(がくめき)峠に行くため、まず玉屋神社と鬼杉に寄る。奉幣殿の参道や、玉屋神社に向かう山腹の道には、あちこちで坊の跡と思われる平坦地と石積みが見られた。岩壁に社殿が食い込んだような玉屋神社は、奥に般若窟があるという。傍の窟池には湧き出た水が溜まっていた。大南神社への尾根に登ると岩場が目立ち、反対側の谷筋に鬼杉が聳えている。説明板によると、周囲12.4m、上部が折れた状態で高さ38mという。見事な巨木で、英彦山を構成する多くの要素と出会えて満足だ(2021.12.15)。 |