探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.689【金毘羅山(田能)の眺望】
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茨木市方面(中景右手は竜王山)
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遠景は石堂ヶ岡(中景の鞍部は清阪峠と狩待峠。山中の集落は東別院町鎌倉)
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湯谷ヶ岳(中央右手)と右に鴻応山(最遠景は光明山・妙見山が山頂を覗かせる。湯谷ヶ岳山腹は東別院町湯谷集落)
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鴻応山(中景左)と右へ歌垣山・七面山・小和田山(右端)。遠景左手は大野山。手前右手に剣尾山の山稜
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遠景左から千歳山・三郎ヶ岳・牛松山・地蔵山・愛宕山(最遠景中央右手に三頭山)
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左=金毘羅宮  右=参道の手水鉢
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 高槻市の田能(たのう)地区は、かつて丹波国に属していた。その金毘羅宮を祀っているのが金毘羅山で、北側のピークに祠がある。安威(あい)川と芥川を分ける稜線の最高峰で、南は阿武山へつづく。萩谷集落の北側には、西へ張り出した支尾根に高ヶ尾山を従える。
 周辺の主要峰は登り終えており、最後に残ったピークをつなごうと低山歩きの講座で出かけた。慶佐次盛一さんの『北摂の山(上)』では、眺望が得られるように記されている。しかし、20年以上の年月を経た今は不可能だろうと諦めていた。頂上も祠のあるピークも展望はなく、道の途中でポンポン山の天狗杉(二本杉)・本山(ほんざん)寺あたりの尾根が見えるだけだった。
 林道萩谷岡山線を南下すると、送電線が近づいてきて樹木が刈り払われている。突然の眺望に参加者から歓声が上がった。西面が180度ほど開け、茨木から亀岡の山々が連なる。奥には妙見山なども山頂を見せていた。立派なのは鴻応(こうの)山で、前に湯谷(ゆや)ヶ岳が重なる。北寄りには北摂から丹波の山が眺められた。思わぬ展開に、高槻市のハイキングコースだというのもうなずける。
 能勢の妙見山へ向かう参詣道が越えていた地獄谷峠。今は名前だけが面影をとどめる。尾根に取り付き、高ヶ尾山の三等三角点を往復した。そのあと雲溪川を降って原集落から安岡寺(あんこうじ)町へ下山する(2021.6.29)。
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芥川と原集落(背後はポンポン山南部の山稜)
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