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高槻市の田能(たのう)地区は、かつて丹波国に属していた。その金毘羅宮を祀っているのが金毘羅山で、北側のピークに祠がある。安威(あい)川と芥川を分ける稜線の最高峰で、南は阿武山へつづく。萩谷集落の北側には、西へ張り出した支尾根に高ヶ尾山を従える。 周辺の主要峰は登り終えており、最後に残ったピークをつなごうと低山歩きの講座で出かけた。慶佐次盛一さんの『北摂の山(上)』では、眺望が得られるように記されている。しかし、20年以上の年月を経た今は不可能だろうと諦めていた。頂上も祠のあるピークも展望はなく、道の途中でポンポン山の天狗杉(二本杉)・本山(ほんざん)寺あたりの尾根が見えるだけだった。 林道萩谷岡山線を南下すると、送電線が近づいてきて樹木が刈り払われている。突然の眺望に参加者から歓声が上がった。西面が180度ほど開け、茨木から亀岡の山々が連なる。奥には妙見山なども山頂を見せていた。立派なのは鴻応(こうの)山で、前に湯谷(ゆや)ヶ岳が重なる。北寄りには北摂から丹波の山が眺められた。思わぬ展開に、高槻市のハイキングコースだというのもうなずける。 能勢の妙見山へ向かう参詣道が越えていた地獄谷峠。今は名前だけが面影をとどめる。尾根に取り付き、高ヶ尾山の三等三角点を往復した。そのあと雲溪川を降って原集落から安岡寺(あんこうじ)町へ下山する(2021.6.29)。 |
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芥川と原集落(背後はポンポン山南部の山稜) |
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