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和歌山の岩橋(いわせ)千塚古墳群は、5世紀から7世紀を中心に850基を数える群集墳で知られる。紀氏の流れを汲む一族だといわれ、国の特別史跡である。春らしい自然と景観に浸りたいと登山講座で取り上げた。 西端の大日山から矢田峠に向かい、熊野古道紀伊路の一部を歩いて伊太祁曽(いたきそ)神社までの行程を考えた。この講座では海南から湯浅にかけて既にトレースしており、最終的につながれば嬉しい。ところが、近年のリポートで丘陵の縦走が薮で困難だとわかった。残念だが、彦地峠から下和佐へ下山し禰宜(ねぎ)から矢田峠を往復して布施屋(ほしや)に向かうこととする。 紀伊風土記の丘の整備された道で大日山に達すると、ほぼ360度の大展望が得られた。和歌山市街の彼方には、淡路島が横たわっている。出土品のレプリカとともに説明板があって、この地は古くから注目されてきたことがわかる。郡長塚・知事塚・将軍塚などを見ながら稜線を東に進む。石室には緑泥片岩(結晶片岩)が使われていて美しい。東端のトイレまで来ると「立入禁止」のロープと標識があった。まさかそんな状況になっているとは知らなかったので、道路工事のエリアに入らないよう広い尾根の南側をルートにする。峠付近は竹薮が開かれ、下和佐への峠道も土砂で消えていた。 天王塚の四等三角点を踏み、仕方なく地形図で果樹園の記号がある北斜面を麓へ向かう。幸い放置されたモノレールがあり、目標の下山地が特定できる。傾斜地の果樹園から平野部の田圃を通って、禰宜で熊野古道に合流。三叉路には古い道標が立っていた。 矢田峠で南側の風景を眺め、引き返して和佐王子から和佐の大庄屋だった旧中筋家住宅へ。そして、川端王子を経て布施屋の駅まで歩いた(2021.3.23)。 |
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