探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.654【牛場越を歩く】
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多羅尾の牛場越分岐(右の道を進む)
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多羅尾の民家
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左=西出の石仏  右=牛場越の峠
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童仙房方面を望む
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左=山上の茶畑  右=九番の民家
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左=高麗寺本堂(大雄殿)  右=八番の民家
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不動ノ滝
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野殿越の国境標石(野殿側にはよい踏跡がつづく)
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 今年の干支は丑(牛)。年賀状のエレメントにも使ったので、牛塚山へ行こうと思っていた。多羅尾(たらお)側から京都への道筋でもあることから京門山とも称される。
 信楽町南部にあって山間の閉鎖的な土地をイメージするが、ここは近江・山城・伊賀の国境にあたる。そのため、牛場越をはじめ野殿越・押原越・島ヶ原越・御斎(おとき)峠など周辺との往来が発達していた。牛場は童仙房(どうせんぼう)の九番のことであり、開拓の歴史が埋もれている。野殿には柳生一族の家老が住んでいたらしい。
 そこで、付近の見どころをつなぐ予定で多羅尾の三叉路を出発する。西出の外れには覆屋の中に立派な石仏が並んでいる。この地域では各所に磨崖仏があり、笠置や奈良との関係が深かったと思われる。大戸(だいど)川源流を遡り、峠の手前から尾根に取り付いて牛塚山に登る。下りは別のルートを利用した。どこも植林地で道が張り巡らされており、今年は登山者も多いのかあちこちに印がある。
 西へ下るとすぐに茶畑が現れ、高原の風景が一変する。製茶場のある大きな民家を過ぎて小さな峠を越えると、八番への道に出合う。右折して高麗(こうらい)寺の入口に来た。広大な敷地に仏像や層塔・鐘楼・本堂などが点在する。1978年に創建された曹渓宗総本山とのことだが、人気のない境内は静まり返っていた。帰宅してから調べてみると、現在は活動していないようだ。
 八番の民家を左に見ながら川の流れに沿って北へ向かう。緩い尾根を越えて九番から下ってくる川に降りると、約20mの不動ノ滝が懸かっていた。中段の岩に不動明王が刻まれているというが、逆光で確認することはできない。
 最後に野殿越の峠へ向かい、尾根に残る近江と山城の国境標石を確認した。これは、伏木貞三氏の『近江の峠』(1972年 白川書院)で知ったもので、滋賀県の県境歩きをされている山本武人さんからも、その存在を聞いていた。あらためて、この地域のおもしろさを知る一日になった(2021.3.3)。
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