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コウモリ岩の探索が早く終わったので、島ヶ原宿周辺を歩こうと足早に下山した。藤堂高虎が、本城のある伊勢と支城の伊賀を結ぶ街道を整備し、西への道として山城・大和に繋ぐルートを改修した。近世では伊勢参宮などで賑わいをみせる。伊賀街道・大和街道(加太越奈良道)と呼ばれるもので、沿道には多くの史跡や文化的な痕跡が残されている。これまで、南山城村(京都府)から府県境の二本杭までは歩いているので、島ヶ原から逆に辿ろうと考えた。一番の見どころは与右衛門坂である。 修正会の準備が行なわれる正月堂から、石仏や岩屋に寄り道しながら町へ向かう。丘の上に建つウ(「鵜」と同義)の宮神社に参拝し、巨大な石灯籠を見てから島ヶ原大橋で木津川を左岸に渡る。川南地区の古い町並みを上って行くと、行く手に与右衛門坂の急峻な道が見えはじめた。なかなか雰囲気のある景観だ。峰集落にある六地蔵への案内を頼りに、街道から苔の道を磨崖仏めざして下る。山の斜面に、像高53cmのやや大きめの仏像が覆屋の下に並んでいた。 再び島ヶ原大橋を渡って島ヶ原駅南側の町を西に進む。先日見た本陣跡の前を通り行者堂への標識で小山川を渡る。岩窟に役行者像が安置されていた。岩谷山を西へ、八幡大菩薩・天照皇大神宮・春日大明神を刻む三社石に向け少し薮を分ける。街道に戻り、行者堂の古い標石を見てしばらく行くと、趣ある山菅地区に入った。旧関所跡の関門大師堂や観音坐像を安置する御堂が並ぶ。まもなく国堺の二本杭に着いた。急に雨雲が流れ込んできて、見通しが利かず暗くなる。強まる雨のもと月ケ瀬口駅へ急いだ。 振り返ってみると、なかなか興味深い道だった。多くの石像物が点在し、仏像が祀られる大岩はどれもコウモリ岩と同じ形態である。成り立ちも同様であろう。山上と山麓の違いはあっても、その成因は同種で人々の考えを凝縮している気がした(2021.2.7)。 |
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