探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.644【石部谷の石切場(推定地)】
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開けた谷筋の凹地
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凹地を囲む岩の露頭
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谷沿いの道(下流)
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風化した支流の側壁
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緩い勾配で上流につづく道
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 白川石の石切場(石切丁場)は、時代によって採取の場が変化してきた。ただ、多くを産出した現場は今もその露頭を顕著にとどめている。近代の採取場は、北白川の清沢口・蓬谷・石部谷と一乗寺の雲母坂が有名だ。その石部谷の現場がどこか探しあぐねていたが、推定できる地形に出合うことができた。あらためて見渡すと、広くなだらな谷筋そのものが切り出した跡ではないかと感じられる。比叡山中で見てきた他の丁場と、かなり趣が違うので自然の地形だと思い込んでいたためである。
 よくみると谷の側面は岩に囲まれ、谷芯に大きな凹地ができている。上流の台地には石積みが見られるものの、これは円形なので炭窯跡ではないだろうか。丁場はかなり山深い場所なので、どこから運び出したのかルートも気になる。穏やかな流れながら、下流には小滝もあり両岸が迫る地形も見られる。かえって、上流から支尾根に上がって尾根筋を下った可能性が高いのではないか。『北白川愛郷会』の絵地図でも、白川本流の一本上流の谷に「石部谷へ」という文字が記載してある。これまでまったく気づかなかったが、地元では知られたルートだったのかもしれない。猫車や牛の利用を考えると、回り道になっても運び易い道が選ばれたはずだ。
 本流には、駒渕・牛石・船石・白川滝など古くから知られた名所が点在していた。今ではことごとく石が切り出されて消滅し、その存在は伝承と文献で知るだけである。
 いま「北白川本領之圖」(複写)から、読み取れるものが何かないかと眺める日々を過ごしている。なお、清沢口は瓜生山、蓬谷は身代り不動尊から比叡山への道筋(弁天道)にあたる(2021.2.5)。
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御領山を示す「北白川本領之圖」(複写)
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