探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.642【クノスケ(大河原山)】
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野殿
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弁天池
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山上の茶畑
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支尾根からの眺望(遠景は左から布引山地と尼ヶ岳・大洞山・倶留尊山。最遠景左手に局ヶ岳、右手の大きな山容は三峰山)
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連続する岩場
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連なる小滝
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上部は雑木が多い南斜面の樹林
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 京都府南山城村の童仙房は開拓の集落である。一番から九番(牛場)の地名が明治時代を偲ばせる。今では「童仙房高原」とも呼ばれて、よき農村風景や高原野菜の産地として知られている。その南東端にある野殿と木津川に挟まれて、クノスケ(大河原山)がある。山名は周辺の山林所有者の名前ではないかといわれ、二等三角点が置かれている。
 コウモリ岩から三国越林道で野殿に向かい、市杵島神社が祀られる弁天池の側から茶畑に通じる農道へ入った。高原状の緩やかな坂の上にテレビのアンテナが立っている。山頂はよい雰囲気の雑木林だった。下山は南へつづく急峻な尾根を選ぶ。何より早く山城谷川に降りたいためだが、よく見ると微かな踏跡が認められる。通信ケーブルが埋められた、保守点検用の歩道のようだ。境界の杭がルートを案内してくれるが、傾斜が強まると岩場が次々に現れる。降りやすいところへ迂回すればルートを外し、その都度現在地を確認して修正する。
 けっきょく、最後は谷へ誘導されて支流をトラバースする羽目になった。岩に囲まれた谷は小滝が連続する。再び尾根に戻って、車道へ降り立つことができた。このエリアの山は特徴がどこもよく似ている。北側は高原で緩やかな開けた地形なのに対し、南側は木津川本流や支流の扇状地に急峻な尾根と谷が下る。結果として、なかなか面白いコースがとれた。
 北大河原の集落に出たあと、以前たどり着けなかった中山峠の地蔵石仏を訪ねる。笠置町との境界にある石仏だが、伊賀街道(大和街道)の旧道にあってこれまで薮に覆われていた。「京都再発見」の講座に参加されていた有市(笠置町)在住の方に問い合わせてもらったところ、役場や地権者の協力のもと国道から行けるよう道を開いてくださった。今では関西本線の車窓からも確認できる。歴史的な要素が、ひとつ日の目を見るようになった(2021.1.31)。
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中山峠の地蔵石仏〔永仁3(1295)年造立。宝篋印塔は室町中期のもの〕
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