「京都再発見」のトレキングで、京北(京都市右京区)と日吉(南丹市)にまたがるエリアへ出かけた。 宇津(有頭=うつ)は安倍貞任(あべのさだとう)の伝説が残る地域で、その父(頼時=よりとき)が領主であったため住人からは親しまれてきた。「前九年の役」で誅殺された貞任の亡骸を京の陰陽師が占った結果、東西南北に川がある場所として奇しくもこの地が選ばれた。身体を七つに切り裂くものの首と胴が離れず、占師は「屍はゆう(柚子)の針を用いると切り離すことができる」と述べた(弟の宗任=むねとうの拷問に使ったという説もある)。その後、宇津では柚子の木に実がならず一本も育たなかったらしい。 切り裂いた場所は切畑(弓槻=ゆづき)。首を葬ったのが貞任峠。腰・下肢を埋めたのが人尾(ひとのお)峠。肩・胴は有ヶ谷(現=高谷)といわれている。そのほか、足手谷(山)や腕を埋めた腕守(かいなもり)神社(八木=南丹市)と頭部の久留守(くるす)神社(八木=南丹市)など、関係する地名や神社があちこちに残る。また、貞任の怨霊が災いを起こすため、源義家が宇佐八幡宮を勧請して祀ったのが宇津八幡宮という。 現地までの交通が不便なので、この日は神吉(南丹市)から近畿自然歩道をたどって世木(せぎ)ダムに向かう。貞任峠と人尾峠はつなぎたいので林道でなく尾根を歩いた。間にある520m峰には宇津城の出城があり、何段もの堀切や曲輪跡が今も確認できる。残念ながら、日吉・上谷側は倒木で峠道が下れない。仕方なく、黒尾山へ登ってから持越峠に縦走。東牧山から川筋を下山してなんとかバスに間に合った。中世木(なかせき)の分岐点には人尾峠と同じタイプの石仏が立っていた(2020.10.20)。 |