初めて、救助の要請をした。自力での下山が難しくなったからである。 ケガをした当日は止血してなんとか山小屋までたどり着いた(処置から約30分後)が、裂傷の深さと痛みがひどく歩行できないことが明らかになった。翌早朝に『北アルプス北部地区山岳遭難防止対策協会』(遭対協)へ電話で相談する。窓口は警察署にあって、まず救助要請者(私)をはじめパーティの詳細を聞かれた。登山届は登山口のポストに入れたので、すぐさま確認がなされたはずである。 しばらくして先方から連絡があり、機体の整備が終わる午後3時にヘリが出動してくれることとなった。その一方で、地上の搬送を見越して5名の救助隊が編成される模様だ。天気は概ねよいのだが、長野県側からガスが頻繁に湧き上がって稜線を覆う。富山県側はクリアーなので救出地点の変更もあり得る。気を揉む時間が長くつづいた。 予定時刻どおり、ヘリは松本を飛び立って上空まで来てくれたものの、タイミングが悪く濃いガスで引き返すことになる(10分前ならクリアーだった)。救出に降雨はあまり関係がないらしい。視界と気流・風速・風向の影響が大きいという。常駐パトロール隊員によれば、翌日に再度試みる予定だという。 この時点で、どういう判断がなされてどのような救助計画が立てられているのか知らされておらず、ズルズルと時間だけが過ぎる不安があった。夕食後に救助隊が到着し、総隊長からやっと話しを聞くことができた。ヘリでの救出は無理でも、翌日には何とかなることがわかって一息つく。 一般に業務は午前8時からなので、搬出当日も8時出発だと聞いていたが、7時に飛び立つ旨の連絡が届く。天気の変化は本部へ随時通報されていて、クリアーな間に運ぼうと判断がなされたようだ。さっそく準備が始まり、登山道の通行規制を含めてテキパキと事が進む。 ところが、ヘリの到着直前にガスがかかって視界は利かなくなる。昨日の二の舞になるのではないかという空気が全員を包んだ。しばらく上空で待機し、視界がよくなるのを見計らっている。そして3回目の旋回で、ガスが切れた一瞬を突いて収容してくれた。その手際のよさに見とれていると、機影は遥か遠くへ既に去っていた。 出動していただいた救助隊・パトロール隊員・小屋のスタッフの方々にお礼を述べてから下山する。集中力を欠いた一瞬の結果が、どれだけ多くの人と組織に時間と負担をかけたのか。この3日間の流れを目の当たりにしていろいろ考えさせられる。「事故を起こさない」大切さを、身をもって教えられた。いろいろな場面での注意喚起など、この経験は普段の山行で生かさなければならない(2020.8.26〜8.28)。 |