探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.553【弥高尾根を登る】
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伊吹山(遠景左)から手前右下へ弥高尾根が長く延びる
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弥高寺本坊跡
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養老山地と関ヶ原方面(手前左は南宮山)
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鈴鹿の山々(遠景左から藤原岳・御池岳と中景右に霊仙山)
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彦根方面の眺望(前景の丘陵は横山の山なみ。遠景中央は比叡山)
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琵琶湖の対岸に比良山系が横たわる(琵琶湖に浮かぶのは多景島)
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竹生島(遠景左は百里ヶ岳。遠景右は三重ヶ嶽の山稜)
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左=行者谷(入定窟)  右=五輪塔と宝篋印塔(京極高清・上坂泰貞と伝わる)
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伊吹山(前景中央は弥高山の最高地点)
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冬枯れの樹林をトラバースして五合目の小屋へ向かう
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 前に上平寺城(桐ヶ城)跡から弥高寺跡を訪れた時は、天候があまり芳しくなく時間もなかったので概要を掴むだけで終わってしまった。そこで、今度は逆コースで登り、史跡を確認しながら歩いてみたいと思っていた。
 山麓の「ジョイいぶき」から弥高の集落に向かい、旧道を登って大門跡に達する。あまり歩かれないせいか、倒木が道を塞いだりしていたものの、掘り込まれたルートは古道の面影を深く残していた。傾斜の緩くなった広い尾根に何段もの平坦地が扇型に点在し、谷筋の湧水近くで入定窟と宝篋印塔を確認することもできた。もう一基は弥高の平野神社にあると説明書きに記されている。
 寺院跡とされるものの、造作は完全に山城である。平安時代に栄えた伊吹四大護国寺の中心的寺院は「弥高百坊」と呼ばれていた。その後、京極氏や浅井氏によって城砦として整備されたようである。大門跡の下部には空堀がはっきりと残る。
 弥高山の四等三角点と最高地点に寄ってから、弥高川源頭をトラバースして伊吹山登山道へ向かう。五合目と六合目の間にあたる標高930m付近で合流し、雪がちらつくなか三之宮神社に下山した。草花はまだ何も咲いていなかったものの、マダニがたくさんいて既に注意すべき季節になっていた(2020.3.15)。
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