西吉野にある天辻(てんつじ)峠は、紀ノ川(丹生川)水系と熊野川(十津川)水系を分ける分水嶺に位置する。以前は西吉野村と大塔村の境界だったが、現在はすべて五條市に統合された。西熊野街道(国道168号)が越える大きな峠であり、阪本領の天ノ川辻(てんのかわつじ)には旅籠などが並んでいたという。 峠には橋本方面・五條方面へつづく道の分岐を示す弘化三(1846)年の道標が立っていて、標石の正面には句が刻まれていて珍しい。詠んだのは建立者である五条陣屋の南條治郎左衛門(武蔵坊南岳)。案内は北向きにしかなく、富貴(和歌山県高野町)と五条・下市(ともに奈良県)を示している。そのため、「富貴辻」とも呼ばれる。 峠道のほかに、短いトンネル(大正十一年)で越えていた旧国道と新天辻隧道(昭和三十四年)の現国道が通る。それぞれのルートは地形図で確認が可能だ。現国道は、五条駅から十津川を通って新宮駅に至る日本最長の路線バスのルートでもある。 ここはまた、明治維新の魁となった「天誅組(天忠組)」の本陣が置かれたところで、鶴屋治兵衛の屋敷跡には石碑が立つ。文久三(1863)年、中山忠光・吉村寅太郎らは十津川郷士とともに高取城を攻撃したものの、失敗して峠を越えて敗走した。僅か40日ほどの出来事であった。さらに、南朝方の大塔宮護良親王ともかかわりが深い。そんな歴史を思い起こす時間とともに、峠を挟んで対峙する乗鞍岳と大日山へ登頂した(2020.2.14)。 |