「京都再発見」の講座で、周山街道に沿う小野郷から中川まで歩いてきた。北山の奥地へ出かけるときによく通り過ぎるものの、集落とその付近をゆっくり訪ねる機会はなかなかない。そこで、供御飯(くぐい・くごい)峠を越えて両集落をつなぐ計画にした。 供御人の里として知られる小野郷は大森や杉坂・真弓などの中心にあたり、歴史を反映する景観を見るため早めに出かけて付近を訪ねた。なかでも、日下部家の各屋敷が風格を感じさせる。日下部式部家の北山型茅葺民家は明和9(1772)年に建てられたという。 岩戸落葉神社の大きなイチョウは、残念ながら葉をすべて落としており地面も黄色一色というわけにはいかなかった。そのあと中ノ町・下ノ町を経て供御飯峠に向かう。峠は天皇が食する米を運んだというそのものの名称だが、かつては杉坂(現杉阪町)などの小学生が小野郷へ通った通学路でもある。最近の災害で荒れているところもあるが、古い峠道は明瞭に鞍部へ誘ってくれる。象徴的なヒノキは大きく傾いており、飛ばされた小祠の傍らに新しいものが再建されていた。上部の巨木は健在である。 杉阪口を経て旧道を中川に入ると、八幡宮に神木の大杉がすっくと立っていた。説明板によると、北山杉(白杉)の元になった木で樹齢600年。挿し木を繰り返し増やした結果が、現在の風景を形づくっているらしい。その後、山野草と庭園が美しい宗蓮寺に寄ってから菩提道方面へ下る。シャクナゲが一輪咲いていた。すぐ近くに大きな台杉が残っており、この付近では大きさが一番だという。常に手入れがなされているのか、綺麗な樹形を見ることができた。最後に川沿いの倉庫群を訪れて、磨き丸太の洗い場や軒の深い建物の構造を見学した(2019.12.17)。 |