探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.497【山陰道細野峠を歩く】
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峠道の石畳(大身側)
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大身騒動晒場跡
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左=細野峠  右=百観音堂円通庵跡
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左=観音清水  右=菟原中(うばらなか)の民家
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左=旧道は土木遺産の両橋を渡る(遠景は鹿倉山)  右=第三十三番の石仏
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左=第一番の石仏(左)  右=P/T境界の説明板
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P/T境界の露頭
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土師川の河岸段丘に広がる菟原下(うばらしも)の集落
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 五幾七道の一つである山陰道は、律令時代に設けられた古い道だ。「京都再発見」の講座で、京丹波町(下大久保)と福知山市(三和町菟原下)に跨がるその細野峠(朴ノ峠)を歩いてきた。江戸時代には、福知山・宮津・出石藩などの参勤交代にも使われ、西国・秩父・坂東の百体の観音が祀られていたらしい(のち龍源寺に移転)。「全国歴史の道百選」に指定された旧街道の面影と見どころを訪ねる予定である。
 園部から檜山(ひのきやま)を経て、登り口にあたる京丹波町と福知山市境までは国道9号とほぼ同様のルートだが、現在の国道は土師(はぜ)川に沿って大きく迂回して大身(おおみ)から菟原中へつづく。いっぽう、境界の標石がある地点から旧道は峠に向かう。敷石のある道幅は広く、往来の盛んだった様子が目に浮かぶ。峠の手前には、万延元(1860)年に起こった一揆(「大身騒動」=丹波国天田郡大身村)の首謀者(茂助)の首が三日間晒された場所もあった。鞍部を越えると、百観音堂円通庵跡の石垣があり水場も近い。かつては茶屋もあったという。石畳を下ると開けた谷筋に茶畑の跡が広がっていた。
 菟原は宿場の面影をとどめる集落で、その中と下を両橋がつなぐ。町並みの途中には「上ノ山菟原西国霊場三十三所」の石仏があった。第一番の福林寺に行こうと左岸へ渡ると、「P/T境界」の標識が立っている。せっかくなので、その露頭まで薬師谷の林道を遡る。古生代ペルム紀(Permian)と中生代三畳紀(Triassic)の境界面が確認できるのは珍しく、福知山市の天然記念物に指定されている。最後は高台に建つ寺院から川筋を眺め、巡礼道を歩いてバス停に戻った(2019.6.11)。
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西国霊場めぐりの道で見かけたシカ
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