探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.488【青木鉱泉】
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母屋(上/左下)と浴室(右下=小さい方)
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木々の芽吹きと小武川の流れ
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左=ミツバツツジ  右=ミヤマカタバミ
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左=シロバナエンレイソウ  右=フクジュソウ
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左=ハルリンドウ  右=ニッコウネコノメソウ
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左=ヒメエンゴサク  右=ミツバオウレン
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左=ニリンソウ  右=バイケイソウ
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 鳳凰三山の計画変更に伴って、小武川(こむかわ)上流の青木鉱泉で2泊することになった。駆け出しの頃から名前は知っていたが、泊まる機会がこれまでなかった。どちらかといえば、登山者には近くの御座石鉱泉がよく知られているのではないだろうか。青木鉱泉は、明治から大正時代の歌人・随筆家として名を馳せた大町桂月(1869〜1925)が逗留した宿で、「谷音も大井川かと思われて朝顔を聞く青木の湯」と詠んでいる。明治時代の旧館を一回り大きくした母屋は1983(昭和58)年に建てられ、造作と様式を継承した趣ある建物である。1階土間のケヤキの柱は一尺以上の太さがあった。
 氏の名前は大雪山へ行こうと関心を持った時に知った。出身地(土佐)の「桂浜の名月」がその由来である。「富士山に登って、山岳の高さを語れ。大雪山に登って、山岳の大(おおい)さを語れ」という紀行文〔「層雲峡より大雪山へ」=『中央公論』1923(大正12)年4月〕で、大雪山と層雲峡が広く知られるようになったらしい。その黒岳の西側には桂月岳(1938m)のピークがある。
 敷地内と登山道に沿って歩くと、春から初夏の花たちがあちこちで咲いていた。フクジュソウとミツバツツジが一緒に咲いていたり、初めてシロバナエンレイソウを見ることができて、宿周辺の散策もなかなか楽しい時間だった(2019.5.2〜5.3/5.4〜5.5)。
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