低山歩きの講座で、この春も和歌山の海に近い里山を歩いてきた。昨年は海南から紀伊宮原まで熊野古道中辺路(紀伊路)をトレースしたが、つづいて湯浅まで足を延ばすことにする。京都から片道3時間半はかかるので、日帰りの限界といえる山々だ。今回の目的は熊野古道そのものではなく、近くに位置する雲雀(ひばり)山と白上(しらかみ)山である。 宮原の渡しがあった有田川は宮原橋を渡って糸我の集落に向かう。雲雀山の登山口までは古道を利用し、中将姫伝説の得生寺と稲荷神社に立ち寄った。ミカン畑から尾根に取りつき、中将姫の本廟がある伊藤ヶ嶽までは、史跡や修行地があちこちに点在した。山頂からの尾根筋は雰囲気のよい広葉樹林とミカンやレモン畑が交互に現れる。陽当たりのよい南面では、春の花が咲き始めていた。糸我峠と鹿内坂(ししうちざか)峠を経て白上山へ向かうと、海がどんどん近づいてくる。農道は大きく迂回するので尾根をそのまま西に進み、訪れる人が少ないせいか四等三角点の標石を見つけるのに時間がかかった。その後は、二基ある明恵上人の卒都婆を確認し、岩場から周囲の景観を楽しむ。 施無畏(せむい)寺から栖原坂を越えて湯浅の町に入り、時間に余裕があったので広川町の広村堤防(国の史跡)にも立ち寄った。濱口梧陵(はまぐち・ごりょう=現ヤマサ醤油の当主)らによって築造されたもので、津波から人々を救った物語は『稲むらの火』で知られる(2019.3.26)。 |