畿内から北陸地方へつつづく最短の道が西近江路・北陸街道(旧北国街道)である。近世になって、栃ノ木峠が主要道になり北国街道はそちらを指すが、敦賀から今庄へ越える木ノ芽峠(木ノ目峠・木辺峠・木部山)も重要な街道として利用されてきた。なにより、古くから往来の歴史があり、西行・平維盛・木曽義仲・親鸞らが通っている。戦国期には多くの武将たちもこの峠を越えた。尊王攘夷を掲げた天狗党が、頼みとする慶喜のいる京都をめざしたのもこの峠である(理由は蠅帽子峠へ迂回させられた結果)。鞍部には秀吉が与えた釜を残すという茅葺きの一軒家(茶屋)があり、道元禅師や明治天皇小休所の石碑が立つ。
梅雨空の下、この日は新保から峠を越えて二ツ屋に下り、新道から南今庄まで歩いた。現在は「中部北陸自然歩道」に指定されている。出発前に観光案内所(敦賀駅)でコースの資料がないかと問うたところ、係の人はネットの画面を示すだけだったし、あまり歩かれていないのか各所で倒木が道を塞いでいた。しかし、沿道には石仏や史跡が次々と現われ、付近の樹林とともによい雰囲気に包まれている。かつての二ツ屋(宿)には関所跡や一里塚などがあり、日吉神社の境内には見事なケヤキが聳えていた。そして、立ち寄った鉢伏山では休憩中に青空が覗くほどになり、敦賀湾や越前の山々が姿を現わす。ウツボグサ・ツルアリドオシ・ヤマブキショウマなど、夏の花にも恵まれた一日だった(2017.6.27)。 |