探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.33【元三大師道の「掃除場」】
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 「比叡山中興の祖」といわれる慈慧大師(良源)は、正月三日に入滅したことから一般に「元三大師」と呼ばれ親しまれている。優れた高僧として名を成し、鎌倉仏教につながる土壌をつくった。護符「角大師」「豆大師」や定心坊(漬物)、そして「おみくじ」(観音百籤)の元祖としても知られている。

 民衆の心をとらえた「元三大師」は、江戸時代中期の商業資本の発達に伴って多くの人々から慕われ、各地から横川へ向かう信仰の道が発達した。なかでも、京都から元三大師堂(四季講堂)へ向かう参詣道には、走出ノ茶屋のほか宿(やどり)が二箇所あったという。その道筋を保守管理する集団(講)が組織され、財力のある商人らが町石を設置した。そして、各寺院の講社が一町ごとに、道を維持していたのではないだろうか。「掃除場」とは、その担当範囲を示すものだと思われる。

 これまで、その実体は知られていなかったが、安井警善氏と定光院の方々により当時の道標が次々と立てられ、なかには旧道から現在の道へ移設されたものもある。五寸五分角の標石には、江戸時代にあった横川の寺院名とともに寄進者の屋号や名前が彫られ、その歴史と深い信仰心を今に伝えている(下の画像は、これまでに確認できた「掃除場」の標石)。比叡山中に現存し建立年代が判明する標石では、これら一連の石柱が最古のものである可能性が高い。

 参考までに、このルート上にある他の標石も合わせて掲載した。
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soujiba
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*標石の位置を記した地図は、国土地理院発行の五万分の一地形図「京都東北部」をベースに使用した。
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