六甲の北西側に連なる丹生・帝釈山系。神戸市北部の農村と新興住宅地が混在する地域にある。その山名から水銀とのかかわりに興味を抱き、このほど訪ねてみた。丹は赤土を意味する。丹生神社蔵の「紙本著色丹生山明要寺参詣曼陀羅」(室町時代)には、その採取の様子が描かれていた。 『北神戸の山やま』(多田繁次 神戸新聞出版センター 1982年)によれば、多田源氏による帝釈鉱山があると記され、かつては長谷銅山と呼ばれていたらしい〔『山田郷土誌』(山田郷土史編纂委員会)、『神戸市史』(神戸市)など〕。銅のほか、金・銀・亜鉛・硫化鉄鉱を産出した。 記録として現存するものは安永八(1779)年まで遡れ、多田銀山との結びつきがあったようだ。その後は採掘と休山を繰り返し、第二次世界大戦による資源増産で年間360トン(昭和18年)を産出したこともあった。戦後も採鉱されたが、昭和35(1960)年に休山し、昭和48(1973)年に鉱業権が放棄された。 いちばん大きな坑口には立入禁止の柵と標識があり、周辺にも斜坑・竪坑が点在する。また、排水用と思われる石積みや各種設備のための平坦地も見られた。上記の書籍によれば、トロッコの軌条や碍子が残ると記されている。なにより特徴ある景観は、谷に張り出すズリのテラスだ。数十年前の歴史が草に埋もれるなか、ここだけは赤茶けた空間が開けていた。 |