江戸時代まで、 比叡山一帯に広がる延暦寺は特別な存在だった。 明治初期の廃藩置県でその扱いをどうするかが課題となり、近江(滋賀県)と山城(京都府)の国界(府県境)を確定し、その管轄を決定する必要に迫られる。そこで、内務省などの機関が歴史的な経緯を踏まえて取り調べと測量を行ない、標石を設置した。重石(かさねいし=大津市山中町)にあるものは、比叡山系に現存する唯一の国界を表わす石柱だと思われる。
公文書に記載された地名には、四明洞・大比叡・大櫻ノ尾・乗鞍ノ尾・字サクラ・白鳥越字滝ヶ谷・一本杉・橦木島・重石などがあり、それぞれ標柱(木製か?)が設置されたようだ。土地の未確定地域や係争地には同種の標石が立てられ、その歴史を今に伝えている(下の写真は牛塚越のもので、重石と同じ角柱の造作と刻字)。
なお、「史跡と標石で辿る日本の測量史」(上西勝也氏)というウェブサイト(http://uenishi01k.at.infoseek.co.jp/index.html)には 、興味深い各地の事例が取り上げられており、「国界(府県界)の測量」では鈴鹿山系の五僧峠(滋賀県多賀町・岐阜県上石津町)に残る測點を詳しく取り上げている。 |