日本の登山文化の発祥地として、神戸は今もその流れが健在である。居住地近くの山へ毎日出かける人たちも多く、暮らしに登山が根づいている。 H.E.ドーント(H.E.Dahnt)は、明治から大正時代に登山を伝えた外国人の一人である。1905(明治38)年、神戸在住の外国人によって冬山登山が行なわれ、1915(大正4)年に英文の登山誌“INAKA”が刊行された(全18巻、神戸市立森林植物園展示館の説明)。シュライン-ロードやダイヤモンド-ポイントなど、西六甲に多い欧風名称(地名・道名)は、外国人たちの活動の証しである。 そのドーントが愛したヤセ尾根をドーント-リッジと呼び、今も静かな道がつづいている(ハイキング道の「北ドーント・リッジ」とは異なる)。コース上には写真のような標石が数多く設置され、複雑な地形を間違わずに誘導してくれる。概ね、西面は「神戸區」、東面が「葺合區」。北面に番号、頭頂部に境界線が彫られている。高雄山近くには、後に埋設されたと思われる「神戸市役所」と彫られた大きい標石もあった(黒岩尾根では、「明治三十三年建立」の「神戸市界」標石も確認している)。 神戸區と葺合區は、1896(明治29)年に設置された6区の二つに該当し〔菟原郡葺合村は1889(明治22)に神戸市へ編入〕、1931(昭和6)年の区制設置時にも引き継がれた。神戸區しか判読できないものも多く、これだけなら1879(明治12)年の郡区町村編制法まで遡れる。もっとも、この場合は行政区ではなく地域を表わす呼称であろう。いずれにせよ、長い地域の変遷が埋もれており、なかなか興味深い。 |