探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.159【ミタニ峠とトンボユリ】
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 左=かつて路線バスが走っていた花折峠の旧道  右=812m峰付近はすばらしい広葉樹林が広がる
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 左=掘り込まれた道が残る812m峰からミタニ峠の稜線  右=冬枯れのミタニ峠東面の眺望
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 左=琵琶湖方面が開けるナッチョの山頂  右=尾根に残るユリ道の石仏
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 古い道が明瞭な八丁坂とトンボユリの合流地点付近
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 ユリ道の特徴を残す山腹も、自然に戻りつつある
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 北山の峠と古道を検証していて、ガイドマップや案内書の記載に疑問を覚えることがこれまでにもあった。ただ、よほど関心を持っていない限り、再踏査をして確かめることはなかった。かつて、『北山クラブ』の方々が執念を燃やし確定された石仏峠など、そのレポートが懐かしい。
 初冬の一日、花折峠の旧道から812m峰(最近では「西折立山」と呼ばれるらしい)を越えてミタニ峠に下り、ナッチョ(天ヶ森)からトンボユリの一部を歩いて小出石に出た。市販の地図にあるミタニ峠は、どこからそんなルートが出てきたのかと思える描かれ方だし、その現場は中学生のときに三谷口からヒノコへ越えた峠の印象とはほど遠い開けた地形だった。また、トンボユリは八丁坂と対になった道としてその歴史をとどめていた。大原でも、奥地の百井・大見・尾越と主要街道を結ぶ重要な峠道だったことが見てとれる。
 どちらも、一色刷の50,000図で見ると、見事なほど正確にルートが表わされている。歩く道の重要度が違っているからだろう。あらためて、その資料的価値の高さに驚いた。
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