南伊勢町(旧南勢町・旧南島町)にある局ヶ頂(つぼねがちょう)は、古くは鋸山と言った。海辺の景観を楽しめる展望台として比較的よく知られている。ただ、交通が不便で行きにくい地域ではある。春を先取りし、志摩半島と五ヶ所湾のリアス式海岸が見たくて、「伊勢市」駅から一時間ほど車を走らせた。 相賀(おうか)浦の集落から旧小学校(「海ぼうず」)の校庭を横切って高台に登ると、砂洲(ニワ浜)で閉ざされた大池(おいけ)と漁港が眼下に見える。反対の尾根には、相賀浅間神社の鳥居が白く光っていた。 三重県度会(わたらい)郡には「浦」と「竈(かま)」の付く地名が多い。「浦」は和歌山藩が加子米を賦課した漁村を表し、水夫(かしき・かこ)の数を米高(石高)に換算した。操船に優る人々の集落である。「竈」は平家の落人伝説が残り、塩づくりを生業にしていた。この地域には、赤崎竈・新桑(さらくわ)竈・棚橋竈・栃木竈・小方(おがた)竈・大方(おおかた)竈・道行(みちゆく)竈・相賀竈(現相賀浦)があり「八ヶ竈」(竈方)と呼ばれる。 明るい登路はシダの緑が眩しい。北側には、前の山稜の背後に獅子ヶ岳の風車群が望まれた。若い頃に七洞岳から縦走したが、今のような光景に変わるとは思っても見なかった。止ノ鼻へ下る尾根を左に分け、緩やかな道を進むと216mの北峰に着く。北面直下の相賀浦トンネルから上ってくる道が合流する。 アップダウンを繰り返し、木々が大きくなると急登になって局ヶ頂の山頂へ飛び出た(二等三角点。点名=大江山)。山名は、平家一族が逃れてきて奥方(局)をこの山に匿ったとか、平維盛(たいらのこれもり)の庶子(岸ノ上左衛門尉行弘)一族がこの地へ入植したという伝説が残る。これまで以上の眺めになって、足下には波の音とともに塩竈(しゅうが)浜が汀線を延ばす。熊野灘の広がりは大きく、遠く九鬼(くき)・尾鷲方面の陸地まで確認できる。淡いスカイラインだが、頂(いただき)山や天狗倉(てんぐら)山も見えているようだ。 西峰で南へ方向を変えると、シダが茂る急坂にフィックスロープがつづく。道行竈と塩竈浜をつなぐ道の小峠から東側の海辺へ降り、海跡湖を右に見ながら砂浜に出た。ウバメガシなどが中心の樹林が広がるものの、林床は流れ着いたプラスチック類で目を覆うばかりだ。 歩きやすい道を折り返して小峠へ戻る。途中には石垣があちこちに残り、隔絶したかつての暮らしに想いを馳せる。たくさんの蜂の巣箱が現れると、沿道はウメの花が咲き誇っていた。耕作されない田畑には、猪垣だろうか背の高い石積みが延びる。 水門のある川の向こうは贄(にえ)湾の奥深い入江である。静かな海面にアオサ(のり)が緑鮮やかに浮かぶ。道行竈の集落入口から小さな峠を越えて、大江川に架かる橋を渡ると八柱(やはしら)神社が山裾に鎮座していた。境内の大きなツバキは見事な花を付けている。野見坂トンネルから度会町に越える道路の分岐(「浮島パーク口」バス停)まで歩いてバスを掴まえた(2026.2.13)。 |