岐阜県と三重県の県境を養老山地が南北に横たわる。断層で隆起した山なみは、濃尾平野側が急峻で養老ノ滝などが名高い。南部の石津御嶽(いしづおんたけ)から多度山へ、木曽三川の水郷地帯と遠くの雪山の眺望を期待して縦走した。石津御嶽神社の参道は何度も折り返して標高を上げ、上部は穏やかな山稜がつづく。 「石津」駅の近くには、宝暦治水で犠牲になった薩摩藩士(13名)の墓所がある。揖斐川・長良川・木曽川は、このような事業の歴史を経て現在の姿になった。鳥居が建つ山裾から急坂を登ると、三合目半が御嶽遥拝所だ。開山した野田教祖ほか、故人が神となって祀られる。すぐに展望台があって、海津橋が眼下に小さく見えた。 四合目の標石を過ぎると尾根は緩やかになり、七合目などで霊神碑が並ぶ。行者だけの修行場を脱し、一般信者向けに木曾御嶽を開いた覚明(かくめい)上人(黒沢口を開山)。その石像が立つ九合目から、わずかな時間で頂上近くの四等三角点に着いた。西側の高みに参籠所があり、社殿(石津山頂上神殿)はさらに西のピークに建つ。 縦走路を南へ降ると、三笠山社の小祠を見てパラグライダー発射場に出た。遮るもののない展望に歓声が上がる。並行して流れる三大河川の彼方に名古屋市街の高層ビルが見えた。 稜線の西側を進むと美濃松山の三等三角点に達し、少し先の送電線が通る鉄塔からは鈴鹿の山なみが望めた。山麓を牧田川が流れる。鈴鹿中部の主稜が起伏を見せ、三角形の鎌ヶ岳や大きな山容の釈迦ヶ岳がよく目立つ。樹木に遮られる北西の高い山は、初め霊仙山の一群かと錯覚したが、方位を確かめると藤原岳だということが判明した。 多度峡へ下るコースと合流し、桑名から津島・名古屋へ米相場を伝えた三本杉(旗振り場)近くのピークを巻きながら多度山に達する。山頂一帯が公園になっていて、各所に人の姿があった。木曽三川の河口が一気に近づく。 足への負担を考え、「眺望満喫コース」で下山する。この時間になっても登ってくる人やグループが多い。地域の人々にとって身近な山なのだろう。途中に五つの展望台が設えてあり、麓の様子がどんどん明瞭になる。多度大社の参拝を希望する方が多いため、下部にある公園近くの分岐で解散した。宇賀神社から振り返ると、鳥居の背後に多度山の姿があった(2026.1.18)。 |