探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.1088【権現山(京丹後市)】
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左=峰山町杉谷  右=峰山町道路元標
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左=「丹後ちりめん始祖 森田治郎兵衛翁発祥地」碑  右=峰山小学校本館〔旧峰山尋常高等小学校(鉄筋コンクリート造り2階建)〕
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左=金峰神社  右=「吉村伊助君紀功碑」
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京極氏陣屋跡にあるエノキの巨樹(胸高幹周=4.3m、高さ=約15m)
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依遅ヶ尾山(三ノ丸跡から)
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太鼓山(最遠景左手)と金剛童子山(遠景中央左)。遠景右は高尾山の山稜
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左=本丸跡に建つ金峰神社奥宮  右=二ノ丸跡
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二ノ丸跡から峰山町側を望む〔最遠景左は杉山。最遠景中央に鍋塚の山稜。少し離れた右側に大江山(千丈ヶ嶽)〕
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生王部神社
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ユニークな姿態の狛犬(明治時代=生王部神社)
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左=街道(府道17号)に並ぶ名号碑(峰山町赤坂)  右=街道筋の町並み
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郷村断層(小池地区)
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左=「天然記念物 郷村断層」標石(小池地区)  右=覆屋で保護される断層面(樋口地区)
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 峰山町(京丹後市)にある権現山は山祇(やまづみ)山とも呼ばれ、古くは山上に蔵王権現が祀られていた。織田から徳川の時代にかけて、丹後を治めた一色・細川・京極の各氏が吉原山城を築き、現在は、本丸跡に金峰(かなみね)神社奥宮が鎮座する。山麓の吉原にある金峰神社(里宮)から参道がつづく。
 「峰山」駅から峰山橋で小西川を渡り、杉谷の落ち着いた町並みを眺めながら登り口をめざす。中心街には、道路元標や昭和4(1929)年に建てられた丹後震災記念館・峰山小学校本館〔旧峰山尋常高等小学校=ともに一井九平(いちいくへい)設計〕などが点在する。丹後ちりめんの産地だけに、繁栄の歴史と関連する景観も見どころのひとつである。
 京極氏陣屋跡にはエノキの巨樹が存在感を示し、傍に「吉村伊助君紀功碑」(実業家・政治家)が立つ。上部はシイを中心とする常緑広葉樹林に覆われる。大手道を登って三ノ丸跡に達し、丹後半島の山を眺めた。そのあと、本丸跡の奥宮に参拝して二ノ丸跡へ移動する。大正時代に植栽されたサクラやモミジが目立つものの、京都府の歴史的自然環境保全地域だけに、一帯を構成する要素は見応えがあった。やや荒れた参道を降って、善明砦跡から林道(権現山線)で登り口に戻る。
 昭和2(1927)年3月7日に起きたマグニチュード7.3の丹後地震は、網野町・峰山町・大宮町・与謝野町一帯に甚大な被害をもたらした。「活断層」という用語は、この地震で初めて使われたとされる。その痕跡をぜひ見たいと思い、国指定天然記念物の郷村(ごうむら)断層まで足を延ばす。ジオパークとして、観察が可能な断層面(線)は生野内(いくのうち)・小池・樋口地区(いずれも網野町)にある。なかでも、小池地区の現場は直線の道路がズレて視覚的にもわかりやすい。2.5万図でも、食い違う実線が再現される。
 向かう途中に立ち寄った生野内の生王部(いくおうべ)神社(式内社)には、境内にスダジイの巨樹がそびえて見事だ。福田川に沿う府道17号を、「網野」駅まで歩いて行動を終える(2025.11.14)。
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