峰山町(京丹後市)にある権現山は山祇(やまづみ)山とも呼ばれ、古くは山上に蔵王権現が祀られていた。織田から徳川の時代にかけて、丹後を治めた一色・細川・京極の各氏が吉原山城を築き、現在は、本丸跡に金峰(かなみね)神社奥宮が鎮座する。山麓の吉原にある金峰神社(里宮)から参道がつづく。 「峰山」駅から峰山橋で小西川を渡り、杉谷の落ち着いた町並みを眺めながら登り口をめざす。中心街には、道路元標や昭和4(1929)年に建てられた丹後震災記念館・峰山小学校本館〔旧峰山尋常高等小学校=ともに一井九平(いちいくへい)設計〕などが点在する。丹後ちりめんの産地だけに、繁栄の歴史と関連する景観も見どころのひとつである。 京極氏陣屋跡にはエノキの巨樹が存在感を示し、傍に「吉村伊助君紀功碑」(実業家・政治家)が立つ。上部はシイを中心とする常緑広葉樹林に覆われる。大手道を登って三ノ丸跡に達し、丹後半島の山を眺めた。そのあと、本丸跡の奥宮に参拝して二ノ丸跡へ移動する。大正時代に植栽されたサクラやモミジが目立つものの、京都府の歴史的自然環境保全地域だけに、一帯を構成する要素は見応えがあった。やや荒れた参道を降って、善明砦跡から林道(権現山線)で登り口に戻る。 昭和2(1927)年3月7日に起きたマグニチュード7.3の丹後地震は、網野町・峰山町・大宮町・与謝野町一帯に甚大な被害をもたらした。「活断層」という用語は、この地震で初めて使われたとされる。その痕跡をぜひ見たいと思い、国指定天然記念物の郷村(ごうむら)断層まで足を延ばす。ジオパークとして、観察が可能な断層面(線)は生野内(いくのうち)・小池・樋口地区(いずれも網野町)にある。なかでも、小池地区の現場は直線の道路がズレて視覚的にもわかりやすい。2.5万図でも、食い違う実線が再現される。 向かう途中に立ち寄った生野内の生王部(いくおうべ)神社(式内社)には、境内にスダジイの巨樹がそびえて見事だ。福田川に沿う府道17号を、「網野」駅まで歩いて行動を終える(2025.11.14)。 |