倉吉は鳥取県中部の交通や経済の中心地だ。三徳山(みとくさん)に行ったので、寄り道してから帰ろうと思っていた。石州瓦と白壁土蔵が連なる町並みを眺め、シンボルとされる打吹(うつぶき)山に登るつもりである。山陰本線の「倉吉」(旧「上井=あげい」)駅は市街地と離れており、まず市役所まで移動した。 堀として利用されたという玉川一帯(倉吉市打吹玉川伝統的建造物群保存地区)を歩いてから長谷(はせ)寺に向かう。酒造所の煙突や豪商「淀屋」(旧牧田家住宅)を見て進むと、豊田家住宅(国登録有形文化財)の前に「久米郡 倉吉驛」の標石が立っていた。明治時代、街道の分岐に設置されたようで、長瀬・赤崎(赤碕)・関金(せきがね)が距離とともに刻まれている。倉吉の「淀屋」は、大阪・淀屋橋の「淀屋」と関係があるらしい。西へ向かうと、小学校の円形校舎がミュージアムとなって、町の活性化に役立っているという。 参道入口から長谷寺に向かい、本堂近くから越中丸(三ノ丸)に登る。西国三十三所と四国八十八ヶ所のミニ巡礼道を周回し、その後は山頂めざして巨樹が混じる樹林を折り返した。 天女伝説が残るこの山は、14世紀中頃に伯耆国(ほうきのくに)守護だった山名氏が城を築き、長い時代にわたって使われた。備前丸(二ノ丸)・小鴨(おがも)丸跡には説明版や碑があり、堀切もよく残っている。 登頂は果たしたものの時間が足らなくなったので、タラヨウ・タブノキなどに覆われた暗い道を運動公園へ下山した。今回訪れた三ヶ所の寺院(大山寺・三佛寺・長谷寺)が、すべて天台宗であることも印象に残る(2025.10.19)。 |