探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.1076【大栗峠から中津灰へ】
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左=寺町の家並み  右=古城山(前景左)と背後に大栗山の尾根がつづく
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上林川上流を望む(中央左は君尾山)
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左=山田道の登り口に立つ道標  右=峠道の樹林
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左=山田道・弓削道の分岐にある標石  右=大栗山(三等三角点。点名=大栗)
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長老ヶ岳(大栗山から)
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左=大栗峠の道標  右=峠の石仏
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展望所から舞鶴湾を望む〔遠景右手は多祢寺山(最近の行政呼称は「多祢山」)の山稜。最遠景左手から右へ権現山・船津山・蝙蝠岳〕
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中景は養老山〜三国岳の山なみ(背後の双耳峰は青葉山)
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稜線の樹林
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シデ山から南側を望む(最遠景左は大野山。左手に弥十郎ヶ嶽。遠景中央左に八ヶ尾山の山稜。遠景右は三嶽)
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三峠山(中景中央左)の背後に多紀アルプスの山々が並ぶ(左は三国ヶ岳。中央左に小金ヶ嶽。右手に三嶽・西ヶ嶽。後ろに白髪岳が覗く)
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遠景は左から江笠山と赤石ヶ岳・大江山(千丈ヶ嶽)・鳩ヶ峰・鍋塚・杉山・赤岩山(最遠景右手に磯砂山が見える)
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中景左手は弥仙山(右へ綾部・舞鶴の市境稜線がつづく)。右側の背後に由良ヶ岳(遠景中央は舞鶴湾)
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左=散乱する栗のイガ  右=オオイワカガミが群生する道
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遠景中央は青葉山(手前左手に養老山〜三国岳の山稜)
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左=中津灰(三等三角点。点名=睦寄)  右=山頂直下の樹林
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左=「近畿自然歩道」和知側の下降点(上林峠の東側)  右=谷筋を降って林道へ
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左=集落に向かう林道(府道51号の未開通区間)  右=仏主
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 綾部市の弓削〔ゆげ=五津合(いつあい)町〕と京丹波町の上粟野(かみあわの=旧和知町)を結ぶ重要な道に大栗(おおぐり)峠がある。西舞鶴(丹後田辺)と京都をつなぐ街道のひとつで、「田辺街道」(「舞鶴街道」)「京街道」として古くから利用されてきた。鉄道や道路が整備されたあとも、地域間の往来を支えてきた歴史がある。その経緯と考察は金久昌業(かねひさ まさなり)*氏の著書に詳しい。かつて、本道の弓削から登ったことがあるので、今回は山田〔やまだ=八津合(やつあい)町〕から取り付く。
 中上林(なかかんばやし)の寺町から出発すると、上林城址のある古城山登り口に金比羅神社が祀られていた。山田の集落をはずれた林道の途中に、絵心のある京道を示す道標〔「右 やま/左 わち京/道 迷椀(椀の線画)〕が残る。
 はじめは作業道の急登だが、すぐに歩きやすい峠道となって折り返しながら尾根を進む。弓削道との合流点に「(梵字)南無大師遍照金剛/右 ゆけ道/左 志ろ下」と彫られた文政七(1824)年建立の大きな標石が立つ。「志ろ下」(城下)は古城山の麓を指すものだろう。
 峠道は左手の山腹を巻くが、そのまま尾根を登って大栗山の頂上を踏む。東へ降りて大栗峠に出た。手前に「右 わち/左 志こた」の道標があり、少し離れて石積みに囲まれた二体の石仏が現れる。
 基部は地中に埋もれて明確でないが、資料によると左像には「ワチ川合 カンバヤシ 志古田 同長野」、右像には「右 志古田わかさ 左 ゆげ城下」と記されているらしい〔慶應元(1865)年〕。現在は弓削道と山田道しか歩くことができないものの、古くは志古田へ下る道もあったようだ。ならば、手前の道標は石仏と対面するか、今の位置で逆向きに立っていたと考えられる。展望所が東のピークにあるので、登って休憩した。舞鶴湾が初めて見える。
 山栗(柴栗)のイガが散らばる稜線を東へ進み、シデ山で今度は北側と南側の眺望を楽しむ。落葉広葉樹林の林床は、オオイワカガミが群生して気持ちのよい道がつづく。693m標高点から689m標高点付近は、地形が複雑なので現在地を頻繁に確認しながら進んだ。689m標高点には、林班界(国有林)の見出標が取り付けられている。
 やがて、北面にあたる草壁川流域の林道が現れたので、上林峠までのアップダウンを避けて稜線を離れた。峠の東側で、北へ下ってくる支尾根に登り返し中津灰(なかつはい)をめざす。すぐに「近畿自然歩道」の標識が出てきて稜線へ戻ることができた。
 雰囲気のよい樹林を三角点まで往復し、上林峠の東側にある標識から自然歩道は谷へ下る。地形図に実線で描かれた林道を、山腹をトラバースしつつ仏主(ほどす)に向かうが、中流の道路に出るまで倒木・落石・崩落などが次々と現れた。思いがけない状況となって、バスの時刻に間に合うのか心配になる。陽が傾いて、やや暗くなり始めた谷筋を集落へ急ぐ(2025.10.10)。

 *『北山の峠―京都から若狭へ―(中)』(1979年 ナカニシヤ出版)
 *『北山の峠―京都から若狭・丹後へ―(下)』(1980年 ナカニシヤ出版)
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山麓はノコンギクが咲き誇る
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