探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.1075【賤ヶ岳】
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左=江土登山口  右=岩崎山
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左=中川清秀の墓(大岩山)  右=猿ヶ馬場
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余呉湖(遠景左手は行市山。右側の背後に大黒山・新谷山。最遠景右手は雲に覆われる安蔵山)
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横山岳(遠景左手)と手前に墓谷山。遠景中央は土蔵岳(右側の最遠景に蕎麦粒山)
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最遠景は金糞岳(左)・ブンゲン(中央右)・虎子山(右手)の江濃国境稜線(手前に己高山の山稜が横切る)
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伊吹山(遠景中央左)。手前右側に七尾山と小谷山(平野部の右手は涌出山)。最遠景右手は養老山地
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霊仙山(遠景中央)と御池岳・鈴ヶ岳(最遠景右手)
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山本山(中景左手)への稜線と琵琶湖(最遠景左手は綿向山。湖面の背後右手に荒神山・箕作山・繖山が並ぶ)
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竹生島(左)と葛籠尾半島(背後の右手は東山の山稜)
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マキノ方面(最遠景左から武奈ヶ嶽・三重嶽・大御影山の山稜。右側手前に赤坂山・三国山)
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乗鞍岳(遠景中央左)〜岩籠山(遠景右)の山なみ(中景右に日計山)
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左=飯浦への切通し  右=祀られた石仏
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余呉湖畔へ降りる(遠景中央は七々頭ヶ岳の山陵)
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左=山口誓子の句碑(秋晴に 湖の自噴を 想ひみる)  右=賤ヶ岳(「余呉」駅から)
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 羽衣伝説が残る余呉(よご)湖の南側に、賤(しず)ヶ岳は位置する。足下には琵琶湖が迫り、湖北から湖西の眺望に恵まれるため「琵琶湖八景」のひとつにも選ばれた。
 また、織田信長亡き後の羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と柴田勝家が戦った舞台でもあり、「賤ヶ岳合戦」は歴史的にも名高い。各所に史跡が埋もれる。
 「余呉」駅から余呉導水路を渡って、江土登山口から入山した。尾根に出ると高山右近の砦があった岩崎山で、緩くなった尾根の先に湖畔の大岩山登山口から上ってくる道が右から合流する(現在は通行止)。
 いったん林道に出て、再び尾根筋を登ると大岩山に着いた。中川清秀の立派な墓が北側のピークに立つ。首洗ノ池と猿ヶ馬場を過ぎて、緩い道から再び勾配が強まると山頂の一角に達する。
 三等三角点(点名=賎ヶ嶽)の周囲には東屋やトイレが整備され、場所を移動すれば湖北をはじめ鈴鹿・琵琶湖・比良・野坂山地と大パノラマを満喫できる。晴天下の美しい景観だけに、昼食をとりながらゆっくり休憩した。リフトで上がってきた観光客の姿も見られる。
 午後は、北西にある大平良(おおひら)山への尾根を降り、飯浦(はんのうら)の切通しから余呉湖畔に出る。鞍部の南西側に石仏が祀られていた。
 国民宿舎跡の前から東に向かい、サワオグルマの群生地や山口誓子の句碑などを見ながら駅へ戻る。句碑のある尾野路(おのろが)浜は、勝家方の佐久間盛成が中川清秀配下の者を槍で突き殺し、合戦の火蓋が切られた場所とされる。
 気温は高かったものの、心地よい秋の風を受けながら周回する一日になった(2025.10.6)。
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