羽衣伝説が残る余呉(よご)湖の南側に、賤(しず)ヶ岳は位置する。足下には琵琶湖が迫り、湖北から湖西の眺望に恵まれるため「琵琶湖八景」のひとつにも選ばれた。 また、織田信長亡き後の羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と柴田勝家が戦った舞台でもあり、「賤ヶ岳合戦」は歴史的にも名高い。各所に史跡が埋もれる。 「余呉」駅から余呉導水路を渡って、江土登山口から入山した。尾根に出ると高山右近の砦があった岩崎山で、緩くなった尾根の先に湖畔の大岩山登山口から上ってくる道が右から合流する(現在は通行止)。 いったん林道に出て、再び尾根筋を登ると大岩山に着いた。中川清秀の立派な墓が北側のピークに立つ。首洗ノ池と猿ヶ馬場を過ぎて、緩い道から再び勾配が強まると山頂の一角に達する。 三等三角点(点名=賎ヶ嶽)の周囲には東屋やトイレが整備され、場所を移動すれば湖北をはじめ鈴鹿・琵琶湖・比良・野坂山地と大パノラマを満喫できる。晴天下の美しい景観だけに、昼食をとりながらゆっくり休憩した。リフトで上がってきた観光客の姿も見られる。 午後は、北西にある大平良(おおひら)山への尾根を降り、飯浦(はんのうら)の切通しから余呉湖畔に出る。鞍部の南西側に石仏が祀られていた。 国民宿舎跡の前から東に向かい、サワオグルマの群生地や山口誓子の句碑などを見ながら駅へ戻る。句碑のある尾野路(おのろが)浜は、勝家方の佐久間盛成が中川清秀配下の者を槍で突き殺し、合戦の火蓋が切られた場所とされる。 気温は高かったものの、心地よい秋の風を受けながら周回する一日になった(2025.10.6)。 |