甲斐駒ヶ岳は、全国にある同名のピークのなかで、もっとも特徴ある山容と岩壁や渓流の要素を持つ山岳であろう。白馬の天津速駒(あまつはやこま=神馬)が山名の由来とされ、文化13(1816)年に信州・諏訪の弘幡(こうばん)行者(小尾権三郎=おび ごんざぶろう)によって開山されたとされる。詳細は不明ながら、粥餅石(かゆもちいし)で1,000日におよぶ修行をしたと伝わる。北沢峠から登るルートがよく利用されるが、山梨県側の代表的な登山道として黒戸尾根はぜひ登りたい。駒ヶ嶽神社の信仰の道である。 アサヨ峰は、駒津峰から栗沢山を経て鳳凰三山(地蔵ヶ岳・観音ヶ岳・薬師ヶ岳)へ至る早川尾根にある。訪れる機会が少ないピークだが、北岳・仙丈ヶ岳・甲斐駒ヶ岳などの展望台として知られる。リクエストは甲斐駒ヶ岳だったが、今回は両山をつなぐ計画にした。 小淵沢(北杜市)から尾白(おじら)川が流れる竹宇(ちくう)駒ヶ嶽神社に向かい、日向(ひなた)山と尾白渓谷のコースを分けて標高差2,200mの尾根を登り始める。十二曲は緑濃い樹林帯の道だ。途中に古い石造道標が残っていた。やがて、旧道と並行する区間もあったが、粥餅石を見ることなく笹ノ平に着いた。ここで、横手駒ヶ嶽神社からの道が合流する。 八丁登りで前屏風ノ頭(三宝ノ頭)を過ぎると刃渡りで、付近から周辺の山や平地が見下ろせた。黒砥山刀利天狗(とうりてんぐ)を過ぎると黒戸山の西面を巻くように進む。下降した鞍部には、かつて前後に五合目小屋と屏風小屋があった。現在は跡地に材木などが残るだけである。 屏風岩をハシゴで登り、何ヶ所も鎖に頼る。真っ二つに割れた大岩の上には、「霊神」を彫った石碑が並んでいた。不動岩(六合目)の横を回り込み、七丈第一小屋に達して宿泊する(行動時間は6時間30分)。 翌朝は第二小屋からテント場を二ヶ所通過する。古くは小屋があった。低くなったダケカンバの林を進むと森林限界になる。南から西に方向の変わる地点が御来迎場(八合目)で、鳥居の柱が残る。「大日大聖不動明王」碑の背後に甲斐駒ヶ岳の山頂が近い。 岩場が連続する核心部は鎖がつづくものの、足型のスタンスがしっかりしているので問題はない。駒ヶ嶽神社本社に参拝し、北沢峠からのコースが合流するとほどなく頂上に達した。まだ雲が湧き上がってこないので、360度の見事な眺望を楽しむ。眼下には、山頂をめざす多くの人影があった。 ザレ場を慎重に降り、斜面をトラバースして摩利支天(まりしてん)を往復する。信仰登山では、帰途は御中道で八合目付近に戻ったらしい。今はバリエーションルートといえよう。六方石と駒津峰へ登り返し、仙水峠に向けて標高差500mを降る。 峠で昼食の休憩をとり、再び500mを登って栗沢山へ。一歩ごとに周囲の山々が姿を現す。岩・ザレが点在する広い尾根をアサヨ峰まで来ると、野呂(のろ)川や小太郎山・北岳が大きく近づいた。 栗沢山へ戻り、西尾根を長衛小屋に向けて下山。上部は岩や岩礫に覆われていたが、針葉樹林帯に入ると歩きやすい道へ変わった。水の音が近づき、建物と色鮮やかなテントが見え隠れするとまもなく小屋に着く。七丈小屋からここまで、10時間を超える行動は気温が高かったせいかハードな1日だった。 翌日は朝一番の南アルプス林道バスで戸台パークへ向かう。この日も晴天なので、右側の車窓からは刻々と姿を変える鋸岳を望むことができた(2025.7.29〜7.31)。 |