「剣豪の道」と称される柳生(やぎゅう)街道。トレッキングの希望が寄せられたので、大和高原の一角にある一体(いったい)山とつないで歩いてきた。 コースは大柳生の夜支布(やぎう)山口神社から上出を通って林道を登り、頂上にある役行者像をめざす。夜支布山口神社の境内にある立盤(たていわ)神社は、古代から当地で崇拝されてきた神で、国重文の社殿が美しい。途中から林道の支線に入って、石積みが残る小祠を経て二等三角点(点名=大柳生)へ達した。電波塔が建つ南側の広場で昼食にする。 午後は往路を忠実に引き返し、塔原から鎌倉時代中期の本堂(国重文)がある南明(なんみょう)寺へ白砂川流域の田園地帯を移動する。北側の「おふじの井戸」を見てから阪原峠に向かった。地元では「かえりばさ」と呼ぶ山脇へ越える峠である。一部に石畳が残っている。鞍部から降ると、覆屋の中に疱瘡地蔵が現れた。大きな自然石に彫られた仏像(元応元=1319年)で、説明板には正長(しょうちょう)元(1428)年柳生徳政碑とある。右下に神戸(かんべ)四箇郷(大柳生・柳生・阪原・邑地=おうじ)の徳政(債権・債務の契約破棄)が記されていた。 六地蔵を見て打滝川の畔に出る。蒸し暑い日なので、参加者の体調と時間を考え班を分けた。ひとつは陣屋跡や家老屋敷を経て「柳生」バス停に向かい、もうひとつは一刀石のある戸岩谷の天乃石立(あまのいわたて)神社を経由することにした。 神殿橋を渡って坂道を登ると鳥居が建つ。神社は式内社で、大きく迂回して磐座の前に出た。後立磐・前立磐・前伏磐・きんちゃく磐が並ぶ神域は厳かな空気が漂う。拝殿にある石燈籠は藩主=柳生宗弘(俊方)・柳生俊平の寄進だという。能舞台は礎石だけが残っていた。奥へ進むと、柳生宗厳(むねとし=石舟斎)が天狗を切り捨てたという伝説の一刀石が目に入る。花崗岩の半球形中央を刀で裂いたような形状が特徴である。 柳生一族の墓所がある芳徳禅寺に寄り、境内の奥にある宝塔や五輪塔・宝篋印塔などが並ぶエリアまで進む。大名家に相応しい空間だった。集落側の参道を降って、バス停で別の班と合流する。 この日の山中や田畑の脇では、ノアザミやホタルブクロが各所で見られ、すっかり夏の様相を呈していた。一体山では種をつけたクリンソウと紅色の2枚の萼片を持つコツクバネウツギが印象に残る。今日を最後に、トレッキングと山歩きの講座は夏休みに入る(2025.6.22)。 |