敦賀市街の北東に、歴史に名を残す金ヶ崎(かねがさき)城があった。海に囲まれた要害で、南北朝の動乱期や織田信長の朝倉攻めがよく知られている。丘陵の中心が天筒(てづつ)山で、木ノ芽川との間に中池見(なかいけみ)湿原が広がる。両者をつないで訪ねようと、「敦賀」駅から歩いて出発した。 「花換(はなかえ)まつり」で賑わう金ヶ崎宮から、照葉樹林に覆われた道を城跡めざして登る。経塚を横に見て傾斜が緩くなると、古戦場の石碑と古墳があり月見御殿跡に着いた。北側は敦賀湾で、ターミナルに停泊するフェリーの船体が大きい。天筒山への尾根は小さなピークが並び、何度も登り降りを繰り返す。「木戸跡」はどれも堀切のようである。巨木が目立ち鬱蒼とした樹林がつづく。 階段を登り切ると天筒山の山頂に着いた。展望タワーに上がれば360度の大パノラマが展開する。一周すると、北国街道が通る県境から市街周辺の山々と敦賀湾が見える。双眼鏡で大型の鳥を観察する人の姿もあった。 湿原へ向かうべく、送電線が通る北東の尾根を降ると国道8号に出た。道路の下を潜って草原へ入る。この日は月曜日で閉園しており、湿地エリアとビジターセンターは電気柵で塞がれていた。かつて、一帯は水田だったものの放棄されて今の姿になったという。 天筒山・中山・深山(みやま=深山寺御山)に囲まれた、厚みのある泥炭層(最厚=約80m)が中池見湿原の特徴で、ラムサール条約にも登録される。特異な地形は「袋状埋積谷(ふくろじょうまいせきこく)」と呼び、繰り返す断層運動と山崩れで水流が堰き止められ谷は平坦になった。 江尻口から深山(深山寺御山)へ登ろうと、緩い谷を遡って尾根に出た。大きなツバキに花が数多く咲き、タムシバの白色も目立つ。フェンスの門扉を開け閉めして山頂を往復した。大阪ガスの境界標石が連続し、所有地だった証が残る。1980年代の開発計画は中止になり、2005年に敦賀市へ全域が寄付された。その後は、地元の熱意と活動でこの湿地が維持される。市民にとって誇りある自然であろう。 炭焼き窯と移築した古民家(農家)に寄ってから藤ヶ丘の入口へ下山した。春の草花が咲き始めていたものの、まだ冬枯れの景観が支配的で、季節を変えてまた訪ねたいと思う(2025.4.7)。 |