那智勝浦町の駿田(するだ)峠から、串本町の田原まで、二河(にこう)峠・市屋(いちや)峠・浦神(うらがみ)峠・清水(しみず)峠を越えて歩く。どこも小さな峠越えだが、なかなか趣のある海側の道だった。 那智ノ浜と補陀落寺は何度も出かけたので、きょうは天満(那智勝浦町)から峠道に入る。少し標高が高くなると、那智ノ浜と市街地が眼下に見下ろせた。峠の鞍部を挟んで加寿(かす)地蔵(北側)と礼拝所(南側)があり、熊野詣の折に落命した歌子姫の伝説が残る。靜坂の道際に妹姫のものも祀られていた。 降りきると国道42号に出て、宮前橋まで道路を歩く。ゆかし潟は森浦湾の入江で、カヤ原を右折して湯川諏訪神社の森へ向かった。墓地の向かいに立つ、湯川氏の第十三代城主の五輪塔が目立つ。付近には道中の疲れを癒す温泉が点在し、古くから親しまれてきたらしい。あちこちでクマノザクラの花が開花していた。二河川を渡って二河峠に登り返す。「上下五町半」(『紀陽道法記』)という。 正徳元(1711)年に造られた与根河(よねご)池(與根河ノ池)を見ながら、市屋峠へ三度目の登りになる。太田神社の前から太田川畔に出て、きのう通った下和田(地区)を逆向きに歩く。久司坂橋で左に折れ、大原神社の前から浦神峠めざす。林道の途中で左手の山腹に取り付き、緩やかなトラバースで支尾根へ上がる。峠付近は平坦な地形で、熊野詣の誰もが休憩したらしく休平と呼ばれる。 トンネルで繋がった先ほどの林道まで谷筋を降りる。曲折する川に沿って海藏禅寺・塩竈神社までくると、浦神の港が目の前にあった。「紀伊浦神」駅前から踏切を渡って、またも山肌へ取り付く。清水峠は二つの鞍部があり、西側が口熊野と奥熊野の境界にあたる。 再び国道に出ると、しばらくは歩道のない車道を歩かなくてはならない。かつて田圃があったのか、湿地性の植物に覆われた水路が道路の右下につづく。田原川の氾濫原と思われる景観が広がり、国道の下を潜って田原に出た。「紀伊田原」駅近くの木葉(このは)神社(「ねんねこの宮」)にはオガタマノキ(「マサカキ」とも)やワシントンヤシ(ともに町天然記念物)が茂る。12月に行なわれる湯立の神事(「ねんねこ祭」)で知られる神社だ(2025.3.24)。 |