探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.1035【大辺路を歩く(地蔵峠と八郎峠)】
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左=古座川舟渡場跡  右=互盟社 芳流館(大正時代の木造洋館風建築物)
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左=照葉樹に覆われる神戸神社  右=高池渡船碑(享保8=1723年建立)
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左=負岩(金比羅神社)  右=「高池の虫喰岩」(天然記念物)
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左=地蔵峠登り口の道標(右ハやまみち/左ハさべみち)  右=地蔵峠(西)
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峠道から池野山川の下流を見下ろす(遠景左手は重畳山。最遠景右手に峯ノ山)
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左=「いがみ滝」  右=地蔵峠(東)の地蔵道標(右山みち/左池乃山)
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左=湯垢離場跡付近  右=佐部
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左=秀田地蔵  右=正法寺
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八郎峠(八郎地蔵峠)道
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左=版築(段築)  右=八郎山(中央)
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左=八郎峠(八郎地蔵峠=「おふき地蔵」。宝暦11年)  右=八郎山(一等三角点。点名=八郎山)
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八郎山から大塔山系を望む(最遠景中央は大塔山。右側に足郷山。中景左は戸矢倉山)
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峯山(遠景左)・妙法山(遠景中央右)と背後の右側に烏帽子山(遠景右は光ヶ峯)
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妙法山(中景左)・烏帽子山(背後右側の鋭鋒)・光ヶ峯(遠景中央)と笠丸山(最遠景右手)
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那智勝浦方面(中景の盆地は中里・庄付近。盆地の中に太田川の環流丘陵が見える)
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遠景左は重畳山。最遠景中央は峯ノ山。右側へ大山・井谷山が並ぶ
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クマノザクラ
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左=野葉ノ木  右=子抱地蔵
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中里から浦神峠(左手)と八郎峠(八郎地蔵峠=右手)の谷を望む
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左=大泰寺(薬師堂。背後は本堂)  右=境内の板碑(梵字「ウン」)
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左=市屋の集落  右=「太地」駅
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 古座川と那智川の間を、熊野古道大辺路(おおへち)は何度も峠越えを繰り返す。まず、「古座」駅から二箇所ある地蔵峠で田原川流域に入り、八郎峠(八郎地蔵峠)で次の太田川水系へ。最後は、与根子(よねこ)川に沿って「太地」駅まで歩く予定で出発した。朝一番の特急に乗っても、到着が11時15分になるので、20キロメートル以上の距離をハイペースで進まないといけない。
 古座川の河口近くにある舟渡場跡から、高池の互盟社(高池下部地区の青年会)と神戸(こうど)神社を経て池野山川の合流点に来ると、享保8(1723)年に建立された渡船碑があった。対岸の古田と繋ぐものだ。霊巖寺と金比羅神社を見て地蔵峠の谷筋に入ると、「高池の虫喰岩」が行く手に見える。その先の公園から旧道を登る。近くにはクマノザクラの標本木があって、訪れる人が多いらしい。付近の山肌にも淡い花が浮かんでいた。
 西側の峠を越えて津荷(つか)川に沿うと、車道と出合う地点に「いがみ滝」がある。道標地蔵のある東側の峠を越えれば田原川水系だ。湯ノ谷には湯垢離場跡があるようで寄り道する。谷間に白濁した流れがあった。佐部(さべ)には城跡があり、説明板が設置してある。秀田地蔵を見て秀田橋を左岸へ渡ると正法(しょうぼう)寺で、室町時代の金銅阿弥陀仏が祀られているらしい。
 上田原から八郎峠へ登る。『南紀の山と谷』(1987年増補改訂 新宮山の会)では八郎地蔵峠として扱われており、峠の「おふき地蔵」に由来するという。峠道は紀州の特徴をよく示していて、ピークを外しながら斜面を徐々に登っていく。途中に版築(段築)が残っていた。「代官みち」とも呼ばれる近道で、よく利用されたようだ。
 峠から南へ尾根を登ると八郎山。見晴らしのよいピークからは、南紀の山々と海が青空をバックに広がっていた。野葉ノ木から庄(太田)へ降りたかったが、少し進むと道が荒れてきて倒木も多くなる。予定の時間に下山できない可能性が高いので、安全な中里への道を降った。
 尾根から斜面へ入ると紀勢自動車道の工事現場だが、峠道は通行できるようロープなどで誘導している。子抱地蔵を見て中里の平地に出る。正面の小高い丘陵は独立していて、かつての太田川は丘陵の南側を流れていたらしい。特徴ある地形を環流丘陵と呼ぶ。
 最澄の創建とされる大泰(だいたい)寺に立ち寄り、永和5(1379)年建立の板碑を見る。この日は催しがあるらしく、本堂前は多くの人々で賑わっていた。下和田の諏訪神社から大宮橋を渡り、太田川に沿って市屋から「太地」駅まで歩く。行動時間は5時間余り。なんとか、予定どおりに終えることができた(2025.3.23)。
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