探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.1034【テンコ山】
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左=赤山禅院  右=梅谷
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水飲から松ヶ崎・岩倉方面を見下ろす(遠景中央左は愛宕山)
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左=音羽川  右=掛橋(弁財天二ノ鳥居)
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左=テンコ山(三等三角点。点名=掛橋)  右=城跡の尾根
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修学院から山城跡への道を降る
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左=坂端林道へ下山  右=曼殊院の土塀に沿って山麓へ
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左=曼殊院弁財天の鳥居と弁財天道の道標(手前右)  右=「葉山馬頭觀世音」の標石
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東山(中央=「法」)を望む(遠景左手は城山の山稜)
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左=一燈寺(葉山馬頭観音=2001年撮影)  右=「梅田雲濱先生舊蹟」碑
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 「てっぺん」を表すテンコ山(天高山)は、一乗寺(京都市左京区)の山城(一乗寺山城)があった峰である。土豪の渡辺氏が築いたとされ、山上には曲輪跡を思わせる平坦地が点在する。無動寺弁天堂へつづく参詣道と『京都一周トレイル(東山コース)』が東斜面を横切るものの、頂上を踏む機会は多くない。
 「京都再発見」の講座で、今日はテンコ山を目的に出かけた。コースは赤山禅院から梅谷を遡る。この道は回峯行者が通るもので、水飲(水飲対陣之碑)で雲母坂と合流する。いったん音羽川へ降ったのち、弁財天道(白川道)の二ノ鳥居が立つ掛橋に登り返す。あとは尾根通しに頂上をめざした。
 「てっぺん」の尾根筋は開け、土塁や堀切など城跡らしい地形がつづく。近年の研究では、朝倉氏の築城技術が使われているため、浅井・朝倉方勢力の拠点だったのではないかとされる。
 東側の弁財天道(一乗寺道)には降りず、尾根をそのまま曼殊院方向へ向かう。途中から露岩・ザレが現れ、落ち葉が堆積しているので足元に注意しなければならない。林道が近づいた地点で坂端(さかばた)の登り口に降り立った。この道が大手道のようである。
 弁財天道(一乗寺道)と曼殊院との分岐に鳥居と道標がある。京都薬用植物園(武田薬品工業)の間を葉山町方面に向かい、葉山馬頭観音へ寄ろうと山側に進む。土砂の流出で土嚢が積まれ、一燈寺の石段は残念なことにフェンスで塞がれていた。御堂を遠くから眺め、梅田雲濱(うめだ うんぴん=幕末の儒学者)が住んでいたことを示す石碑を見るだけで終わる。
 西圓寺・圓光寺の前を通って一乗寺下り松で解散。久しぶりの一乗寺探訪で、春浅いテンコ山一帯を楽しむことができた(2025.3.18)。
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