熊野古道大辺路は、田辺市の三栖口から白浜町に入って富田川を渡る。現在では道路などで不明の区間が多く、明確な証を見つけることは難しい。 時代によってもルートは変わり、近世以降は国道42号を熊野街道としている。「紀伊田辺」駅からつぶり坂や新庄峠は車道歩きになるので省略し、「朝来(あっそ)」駅から山王橋で富田川を左岸に渡り、富田橋で右岸に渡り返して「紀伊富田」駅へ向かうことにした。古くは、右岸の岩崎から平を経て「血深ノ渡」で左岸に渡り、平間神社・日(にち)神社から草堂寺へつづいていたらしい。 朝来の櫟原(いちはら)神社付近は街道筋らしい風景が残り、河川近くの住宅地を進んで山王橋に向かう。車が通れない潜水橋は水面に近く、広々とした景観が心地よい。北側には、左会津川流域の山々が姿を見せていた。 保呂の集落に入ると厳島神社が高台にあり、近くに「真秀呂(まほろ)之碑」が立っている。大日如来堂の岩壁は「保呂の虫喰岩」と呼ばれ、風化した表面は虫が開けた穴のようだ。成分に含まれる塩分が原因だとされる。 内ノ川の高台にある林翁寺境内には群霊紀年碑があって、参道の石段に立つ推定水位碑とともに大水害〔明治22(1889)年8月〕を今に伝える。 富田川が大きく屈曲する平間神社付近に渡し場があったようだ。付近一帯は天然のオオウナギ生息地で、集落には魚濫(ぎょらん)観音が立つ。日神社の大スギ(樹齢=約500年)を見て富田橋に着いた。 「紀伊田辺」駅へ戻り、以前は修復工事中だった闘鷄(とうけい)神社を再訪した。境内や公園に大きなクスノキが何本も枝を広げている。背後の仮庵(かりお)山も緑で覆われ貴重な自然が広がる(2025.3.6)。 |