志摩国の霊峰として知られる青峰(あおのみね)山は、古くから海上からの目印・目標にされてきた。天平年間(729〜748年)に聖武天皇の勅願で、行基が青峯山正福(しょうふく)寺を開いたといわれる。鯨の背に乗った黄金の観音にちなみ、志摩を中心に多くの漁業・船舶関係者の信仰を集める。まさに、海上安全を願う山である。 周辺から通じる参詣道は主に5本あり、今回は北側の松尾道から登って山頂に達し、南側の磯部道を下って伊雜宮(いざわのみや・いぞうぐう)へ出た。予定は沓掛だったが、時間があるので足を延ばす。 近鉄志摩線の「松尾」駅を出ると大きな標石が立っている。かつての賑わいを彷彿とさせる光景だ。石垣がつづく落ち着いた集落を抜け、鈴串川を渡って尾根に取り付く。丁石が次々と現れ、寺まで二十五丁という。「ますきち岩」「あまかぼうか岩」には謂れの説明板が立っていた。寄り道して「登」の三角点を踏む。緩やかな尾根を進むと、石段と切通しがつづく。廿二丁目の護摩岩をみて御堂の裏側に着いた。 明日(旧暦1月18日)行なわれる「御船祭(おふなまつり)」の準備が始まっていて、大漁旗が風にはためく。見事な彫刻の大門(四天王門)をくぐって参拝した。大門は、的矢の棟梁=中村九造が文政13(1830)年に建てたもの。しばし彫刻を見上げる。請け負ったのは、大工棟梁の九代竹中藤右衛門(現=竹中工務店)。門前に立つ天保8(1837)年の大きな常夜燈(「永代常夜燈/大坂 西宮/樽舩問屋中」)も立派だ。 境内を離れ、灯明岩近くで太平洋を見ながら昼食にする。先志摩の大王崎も望むことができた。尾根の先に向けて露岩がつづくので、少し降ると注連縄と小祠がある。舟神の磐座であろう。電波塔の建つ青峰山の頂上には「天跡山」と二等三角点(点名=青峰山)の標石が並ぶ。周囲のシイやカシの樹林は、巨木が混じって雰囲気もよい。寺の背後を示すのか、途中に「観音山」の標石もあった。 山田へ向かう磯部道を降ると、方角が変わって駐車場から渥美半島を見ることができた。先日出かけた菅島・神島は山かげになって姿を見せない。やや荒れた広い参道は、熊野古道伊勢路を歩いているような印象で、平坦になると登り口の標石に出合った。こちらは、大門まで十七丁の距離がある。 磯部町山田から上之郷(かみのごう)に向かい、「志摩国一ノ宮」である伊雜宮〔皇大神宮(内宮)別宮〕を参拝する。神島の「御供あげ」神事(アワビの豊漁を願う海女の神事=6月11日)では、舟に「伊雜皇大神宮」の旗を立てるらしい。 社前の旧道には、有形文化財に登録された旅館の建物と神武参剣道場が並んで落ち着いた佇まいだ。倭姫命(やまとひめのみこと)の旧跡や長屋門が残る長官の邸跡を訪ねた。道路沿いにサボテンが並び、日あたりのよいところではウメが咲き始めていた(2025.2.14)。 |