探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.1022【金毘羅山】
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戸寺から金毘羅山(左手)と翆黛山(右手)を望む
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左=高野川沿いの道から見た比良の山なみ  右=江文神社の大杉
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左=江文峠の参道入口  右=琴平新宮社
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Yケンの上部から眺める比叡山(遠景中央左)と瓢箪崩山(中景右手)
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左=石段がつづく参道  右=三壺大神
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左=天御中主之命ほかいくつもの神が並ぶ  右=冬芽をつけるヒカゲツツジ
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左=阿比留文字の碑  右=金毘羅山(三等三角点。点名=根王)
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左=稜線の急坂を降る  右=翆黛山
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左=建礼門院に仕えた侍女(阿波内侍・大納言佐局・右京大夫局・治部卿局)と伝わる墓  右=ミチバタ谷へ下山
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大原草生町
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 金毘羅山は、古くは江文山と称した。大原(戸寺・上野・来迎院・勝林院・大長瀬・草生・野村・井出)の産土神である江文神社が麓にあり、花尻の森・馬場・社殿の建つ境内など神域があちこちに点在する。金毘羅大明神が勧請されて以降は、現在の山名が一般的だ。親しまれる近郊の山だが、山中に岩場が隠れており険しい山である。
 各所に神名を刻む小祠や石碑が見られ、なかでも琴平新宮社は讃岐で憤死された崇徳天皇の霊をなだめるために祀られたという。古い地誌では、山頂に火壺・風壺・雨壺があったと記される。雨乞いの山であり、魔所として恐れられたらしい。中腹にある江文寺趾は、江文神社の元の鎮座地ともいわれる。
 戸寺に集合して、江文神社から江文峠に向かい、琴平新宮社を経て尾根に達しロックゲレンデ(Yケン)の上で大原盆地を見下ろした。初心者向けの講座なので、注意点を伝えながらゆっくり進む。その後は、山頂を往復して神々を訪ね急峻な道を降った。部分的にトラバースルートを利用し翆黛(すいたい)山へ向かう。最後は東側の支尾根から寂光院の南側に下った。
 寒さが厳しい時期によるものか、寺の門前や道に人の姿はほとんどない。家々が並ぶ帰り道の景観も寒々としていた(2025.2.3)。
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