船便の都合で鳥羽から神島へ先に渡り、最終便で菅島へ移動して宿泊する計画だった。直前になって、2日目の天気があまり芳しくない予報となり、神島と菅島を入れ替える。そのため、時間のロスが出てそれぞれ往復することになった。 答志島の和具を経て神島に着いたのは午前11時20分。スタートが遅くなったものの、小さな島なので問題なく一周できるだろう。なにより、この島は『潮騒』(三島由紀夫)の舞台として有名だ。人々の暮らしを背景に、若い二人を描いた純愛小説である。これまでに5回も映画化されたという。各所に当時の写真が掲示してあった。 港から、家々の間を縫う狭い道で洗濯場の横を通り八代(やつしろ)神社に向かう。石段を登り切ると新しい社殿が灯明山の中腹にあった。海の神(綿津見命=わたつみのみこと)らしく、鯛を持つ恵比寿様などの絵馬が掲げてある。 コンクリートの階段を東へ進むと神島灯台に達した。自家発電による電気灯(タングステン電球)を採用したと記してある〔明治43(1910)年竣工〕。伊良湖水道を間に渥美半島が近い。折り返すように西へ登ると灯明山に登り着く。木々が生い茂って眺望は得られない。階段がつづく尾根を降ると、断崖の上に建つ監的哨跡と出合う。弁天岬を望むデッキや東屋があって、ゆっくり休憩できた。今朝まで降っていた雨の影響からか、まだ雲が多くてときおり日射しが感じられるに過ぎない。 階段をさらに降ると、とつぜん石灰岩の岩壁とチャートに覆われた浜辺の風景が目に入る。ワニの浜に降りて振り返ると、高く聳えるカルスト地形が見事だ。ここは、アサギマダラとサシバの渡りの観察地になっているらしい。アゼトウナの黄色い花がかろうじて見られた。遭難者の供養塚(「皇子の古墳」とする見解もある)と題目石の先で、神島小中学校へ通じる道路に出た。左手は祝ヶ浜から古里(ごり)ノ浜がつづき、マツが茂る八畳岩がすぐ傍にある。昨日の菅島が大きい。 油を塗って鏡にしたと伝わる鏡石と、元中学校の門柱を見て集落に戻った。迷路のような通路でつながる家々に囲まれ、井戸が各所にある。案内図に「おたつ上臈(じょうろう)の井戸」があるものの、現地では判明しなかった。出航時刻が近づいたので、三島由紀夫が滞在した寺田家住宅を確認して終える。 私にとって、島の自然と造形が何よりの魅力で、カルスト地形や海浜の風景が印象に残る島旅だった(2025.2.2)。 |