新宮市の南西部で存在感を示す笠丸山は、佐野から高田に越える塩見峠と相賀(おうが)へ越えるカジアゲ峠の間にある峰だ。どちらの峠も海辺から高田川流域に通じる古くからの道である。今は熊野川沿いを新宮市街から容易に辿り着けるが、かつては生活を支える重要な往来であった。 宇久井半島で泊まったため、大辺路の一部を歩いて山へ接近する。佐野川を渡ると那智勝浦町から新宮市に入った。佐野王子跡を過ぎると木ノ川流域で、最奥の集落(船山)から塩見峠道を登る。以前は、袋作から仁(にの)滝を回り込んで尾根に取り付くルートがよく使われたが、斜面の崩落で通行できないらしい。その道と合流する尾根(標高260m)から降って滝を確認した。 ところどころで傾斜が急になり、峠道といえども苦しい道のりがつづく。稜線には林道が通って、峠らしい風景は望むべくもない。西は光ヶ峯に行ける。稜線を東へ忠実に進むものの、迂回しながら登ってくる林道とたびたび出合う。ひとしきり登って笠丸山の頂上に達した。 直下の東面は伐採され、子ノ泊(ねのとまり)山の山群などが一望できる。樹木を伐る音は鳴り止まず、カジアゲ峠へ向かう稜線の西側で作業中のようだ。林道を走る車が見えた。右手の荒木川源頭も全域が伐採され、薮で道を追うのが難しい。けっきょく、作業道を利用して水流の際に降り立った。 峠道は途切れながらも、左岸・右岸と渡り返しながらつづく。自然林が戻ってくると雰囲気はよくなった。最初に出合う右岸の支流はナメ床で合流する。転石の多かった谷がやがてナメ床になり、屈曲を繰り返しながら連続する。心地よく足を運ぶと、二条になったナメ滝が現れた。その先で左岸に渡って谷筋を外れる。西側には地形図に記載される隠れた滝(15m・5m)があるようだが、宇久井まで移動しなければならないので割愛した。巨大な砂防堰堤を越えると道はよくなり、頭上高く通過する高速道路を潜って佐野に出た。 「新宮」駅で少し時間があったので、秦の時代に中国から渡来したと伝わる徐福の墓と徐福之宮(阿須賀神社境内)を訪ねる。神社の背後にある丘陵が蓬莱山で、近くに上陸の地を示す碑も立っていた。駅へ戻る途中に、大正時代の旧チャップマン邸と西村家住宅(西村伊作記念館)へ寄り道する。「文化学院」(東京神田駿河台)の創設者である西村伊作(にしむら いさく)は、新宮が誇る教育者であり実業家でもある。付近の新宮教会(日本キリスト教)の建物も美しい(2025.1.31)。 |