探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.1009【西光寺山】
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左=西光寺池から山頂に向かう道  右=山麓の炭焼窯
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左=西光寺山の祠(三宝荒神)  右=頂上の三等三角点(点名=西光寺)
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西光寺山から北東方向の眺め(遠景左手は西ヶ嶽・三嶽・小金ヶ嶽。中景は白髪岳・松尾山の山稜)
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丹波篠山方面(遠景右手は弥十郎ヶ嶽)。最遠景左手の雲海に比良山系が浮かぶ
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東方向(中景左手は西寺山。最遠景左は深山・半国山。中央左に大野山と背後は剣尾山。右手に鴻応山が目立つ)
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遠景は北摂の山々(左の鋭鋒は大船山。右のたおやかな山が大峰山)。中景中央右に虚空蔵山。手前右は和田寺山
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最遠景は六甲山(左が六甲最高峰)と帝釈・丹生の山なみが長く延びる(中景右手は御嶽山=播州清水寺)
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遠景左手に明石海峡大橋。背後の右へ淡路島が横たわる(手前の平野部に独立して雄岡山・雌岡山が並ぶ)
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南西方向(加古川流域の西脇市・加東市方面)
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西方向の眺め(最遠景左手は明神山と七種山が鋭い。最遠景右手に雪彦山)
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遠景中央は笠形山(最遠景左手は雪彦山。最遠景右の雪が見える山は暁晴山)
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北西方向(積雪がある最遠景右は千ヶ峰。左手に段ヶ峰。手前の中景左手は妙見山)
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左=加東神山への尾根  右=洞ヶ山西光寺の「南無法蓮華経」碑(「大洞山」)
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左=加東神山  右=四等三角点(点名=大峯)
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左=山腹に残る炭焼窯跡  右=谷筋の巨木(アベマキ)
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左=雑木林に祀られた祠  右=西光寺池から振り返る西光寺山(右手)
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 「金の鶏」の民話が伝わる西光寺(さいこうじ)山は、兵庫県西脇市の最高峰だ。山上に金鶏山西方寺の跡(「大洞山」南東斜面の標高620m付近)が残る。南へつづく稜線には加東神山(かとうこやま)があり、このピークは加東市の最高峰である。今回は、丹波篠山市の今田(こんだ)町本荘(ほんじょう)からのルートを選び、加東神山にも寄る予定で出かけた。
 東条川の支流に沿って西光寺池に達すると、正面に西光寺山の稜線がゆったりと横たわる。燈篭と流れの傍にある手水鉢を見て対岸に渡れば二基の炭焼窯があった。ここから地形図の道と異なる斜面を登る。稜線近くで地形図のラインに戻り、まもなく山頂の一角に着いた。先日の雪がまだら模様に残る。
 露岩を越えると東屋の建つ頂上に達した。三宝荒神の小祠と三等三角点があり、北西から北側を除いて周囲の山々を望むことができる。丹波・北摂・六甲・播磨方面の特徴ある地形をもとに、山座同定の時間を過ごす。期待していた但馬や小豆島は霞に覆われており、淡路島も掴みどころがない。
 昼食後は丹波篠山と西脇の市境稜線を進み、急登をこなすと洞ヶ山西光寺の「南無法蓮華経」碑が立っていた(「大洞山」)。次のピークが加東市との交点で、加東神山と呼ばれる。南側に四等三角点(点名=大峯)があるので往復した。
 東へ張り出す尾根から519m標高点に向けて道があるらしい。降り始めるとすぐにルートを落葉で見失った。仕方がないので、歩きやすい斜面をトラバースぎみに標高点をめざす。一帯は落葉広葉樹林が広がる。炭焼窯の跡も確認した。
 支尾根にある標高点西側の鞍部へ近づくと道が明瞭になって、あとは谷に沿って降るだけだ。何箇所も窯跡の石積みが残る。かつて、人々の暮らしを支えた痕跡である。傾斜が緩くなった雑木林に小さな祠があって、すぐに往路と合流した(2024.12.25)。
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今田町本荘(背後は和田寺山)
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