稲荷大社一帯は見どころの多いエリアである。「京都再発見」の講座で、東福寺から一ノ峰の東にある二石(にこく)山(二谷山)を経て七面山まで周回した。稲荷山は多くの参拝者と観光客で賑わっているが、この日のコースは稲荷山再発見にふさわしい1日となる。なかでも、二石山(二谷山)山頂の北側(標高=220m)にある愛宕神社跡の石碑を初めて知った。2017年に山科神社鎮座1120年記念事業で設置され、信者・氏子でも辿り着くのが難しいのか、いたるところに標識が付けられていた。 「東福寺」駅から本町通を南下して東福寺の境内に入ると、まだ美しい木々が目につく。臥雲橋や禅堂の辺りがことによかった。境内を離れ、崇徳(すとく)天皇皇后聖子(せいし・きよこ)月輪南陵(つきのわのみなみのみささぎ)に寄り道して市街の展望を楽しむ。上部には仲恭(ちゅうきょう)天皇九條陵と「鳥羽・伏見の戦い」「戊辰戦争」殉難者の墓石が並ぶ。この辺りを本寺(ほんじ)山と呼ぶ。 住宅地から三ノ橋川に出て上流に向かい、清明舎の分岐にある清瀧から三角(みつかど)をめざす。「稲荷山十二景」のひとつ、「三角の明月」で知られていた。ここは山科から登ってくる参道が越える峠で、古くは茶店が数軒あったらしい。右折して尾根をたどると、「←愛宕神社石碑」の分岐を経て二石山(二谷山)の三等三角点(点名=西野山)に着く。 頂上には「西野山」の標識があるものの、これは山科側(地域名=西野山)の呼称である。伏見側は、現在では二石山(二谷山)で通じる。以前は稲荷山や深草山とされたこともあったが、時代とともにこの山を指すようになった。米相場を伝える旗振(はたふり)山のひとつで、経緯や考証については柴田昭彦(しばた あきひこ)氏の著作(『旗振り山』 ナカニシヤ出版 2006年)などが詳しい。それより前の私の認識は、この「探山訪谷」(No.7)に載せている。 頂上から稲荷山(一ノ峰)との鞍部(四ツ辻)にいったん降りて、左折しトラバースすると大岩大神に出る。玉垣に囲まれ注連縄をめぐらせた大岩はまさに神の憑代(よりしろ)。典型的な磐座(いわくら)・磐境(いわさか)である。末広ノ滝などいくつかある滝場を横に、竹林を通って宝塔(ほうとう)寺の仁王門前まで進む。 最後は、七面大明神(七面宮)から背後の七面山に登り、深草墓園で景色を眺めてから「稲荷」駅で解散した。久しぶりに稲荷山の周囲を巡って、静寂な地域を堪能する。「観光公害」(オーバーツーリズム)とは無縁の時間だった(2024.12.17)。 |