「周防大島」で通じる屋代(やしろ)島は、民俗学者=宮本常一(みやもと つねいち)の生誕地(東和町=現周防大島町)で、そのフィールドワークから影響を受けた者として、一度は訪れたかった。氏が主宰し編集された『あるく みる きく』(1967〜1988年 近畿日本ツーリスト/日本観光文化研究所=発行)を若い頃に定期購読していた。メンバーの中に探検や冒険を志向する人たちがあり、後に『地平線会議』へとつながっていく。 そのような考えや流れを背景として、『山旅倶楽部』で計画したところ参加者が集まったので実施した。印象もよかったので、今後も継続して島の山旅を行なおう。この島は、瀬戸内海では淡路島・小豆島に次ぐ面積を誇り、ミカンの産地としても有名だ。 行程は文殊堂を出発地点に、文殊山・嘉納(かのう)山・源明(げんめい)山へ縦走して笛吹峠に下山。安下庄(あげのしょう)で1泊して、翌日は帯石(おびいし)観音から嵩(だけ)山に登る予定である。 大同元(806)年の開山とされる文殊堂では、散り敷かれたイチョウの葉が見事で文殊山へ向かう道も紅葉が美しかった。頂上は360度の大パノラマ。これから登る山々が姿を見せていた。目標とする4座を、近年は「瀬戸内アルプス」と呼ぶらしい。道の保守と道標の整備がきちんとなされていた。植林が多いものの、自然林も見受けられる。コースは尾根の東面をトラバースすることが多い。途中には外敵侵入防止の土塁が残っていた。 嘉納山で嵩山へつづく稜線が東に分かれる。露岩を降りると慶法院岩屋観音の標識があったので、西面に回り込んでトラバースぎみに降る。文殊堂とともに弘法大師ゆかりの地である。「四境の役」(幕末の長州藩と幕府軍の戦い)の戦没者供養塔が立つ旧源明峠から、登り返すと戦跡碑のある源明山に着く。野菊が多く咲いていた。象岩と掛(かけ)岩に寄り道して、傾いた光を受ける最後の眺めを楽しむ。 観音が祀られた帯石(高さ=8m、周囲=27m)は、「南無阿弥陀佛」の名号が彫られ安産のお守りとして信仰されてきた。石段を登って周回し、亀石から大悲閣の前に出て古道を天狗岩へ向けて登る。墓地の一角には、寛文3(1663)年に台風で遭難した久留島主膳(村上水軍の子孫)の墓碑があり、折り返して急斜面を直登する。 いったん道路に出たあと、眺めのよい天狗岩を経て再び道路へ。鳥居から岩屋権現とその奥ノ院に参拝する。コースは何本もあるが、もっとも整備された歩道を進むと山頂近くの東斜面に展望テラスが設置してあった。ゆらめく海面の光が印象的で、遠く四国の山なみと佐多岬半島を望むことができる。頂上では、前日に歩いた山々も確認した。上掲最後の写真は、参加された方が翌日に四国側から撮った屋代島である。美しい景観で、中央の嵩山が目立つ(2024.12.6〜12.7)。 |