祝子(ほうり)川・五ヶ瀬川・大瀬川の河口に開けた延岡は、江戸時代中期から明治維新まで内藤氏の城下町であった。近現代は工業都市として知られる。その西郊に行縢(むかばき)山があり、日本武尊の伝承地である行縢神社が山麓に鎮座する。参道を通って雄岳までよい道がつづく。時間があるので、雌岳とつないで周回することにした。山容が「むかばき」に似ているのが山名の由来で、武士が騎馬遠行や狩猟の際に両足の覆いとした布帛(ふはく)や毛皮を表す。 登山口から行縢ノ滝(矢筈ノ滝)へ向かう谷は、大きな岩が積み重なる間を水が流れる。水量はさほど多くなく、上流に落差70m以上の滝が懸かるとはとても想像できない。滝見橋でスラブを落下する景観を初めて目にした。離れているため、大きさを捉えにくい。左岸の道を折り返すと滝の真下に着いた。「日本の滝100選」のひとつが、見上げる青空から岩肌を伝って降り注ぐ。なにより、大きなスケールの周囲の岩場がすばらしい。 雄岳の登山道に戻り、少し上部の小谷から雌岳へのコースに入る。急斜面には、かつて営まれた炭窯の跡が残っていた。尾根に登り着いた地点が661m標高点。樹木に閉ざされ、残念ながら展望は得られない。足元はわからないが、岩の擁壁で囲まれたピークである。露岩の目立つ尾根を「県民の森」の標識を経て自然林の雌岳に向かう。 植林地を尾根から緩やかな谷に降り、東屋の建つ広場(「県民の森」)で行縢ノ滝(矢筈ノ滝)へ流れる谷と出合った。再び尾根に取り付き、雑木林を進むと北岳に登り着く。隣はほぼ同高度の雄岳である。いったん降って登り返すと山頂の一角だ。露岩が連続し、その先に二等三角点が設置してあった。北側は植林で遮られるものの、南側は海岸線もはっきり望める。遠く、四国の足摺岬方面が海上に浮かんでいた。 メーンコースで雌岳との分岐まで戻り、再び滝に寄ってから神社へ下山する。養老2(718)年に紀州の熊野権現を勧請して社殿が建立されたとのこと。神木の夫婦杉とバクチの木が見事だ。参拝のあと、清々しい境内でゆっくり時間を過ごした。 翌日は延岡城跡と今山大師を訪ねる。規模の大きな石垣の上部にある天守で日の出を迎え、城山の三等三角点や最後の藩主だった内藤政挙公の銅像をみた。また、今山大師の弘法大師像は高さが17mあり日本一らしい(2024.11.24)。 |