道を見守る石像――情報をお寄せください |
下に記載の十一面観音石像(八瀬花尻町)の少し北側に、道路を見守る石像が山際に立っています。台座の文字から、江戸時代後期(天保・弘化)に道が改修されたことを知ることができます。像そのものは、昭和初期に梶井三千院門跡によって建立されたようですが、詳細はわかりません。 どういう方法で道が付け替えられ、また資金の調達がなされたのか。地域の歴史と深くかかわるものだけに、興味は尽きません。川沿いの道を遡ると、まもなく美濃瀬橋を渡って大原へ入ります。 経緯や現在もお守りされている事情など、ぜひ知りたいと思っています。 |
八瀬の観音像――ご存じありませんか? |
八瀬花尻町にある十一面観音石像について、そのいわれや建立年代をご存じの方はおられませんでしょうか。現在の「鯖街道」(「敦賀街道」・国道367号)からほんの少し山側にあり、街道を見下ろすような格好で立っています。光背や台座の表面が磨耗し、文字はほとんど読めません。 ここは、西国三十三所観音巡礼の本道から派生する「比叡山越」のルートにあたっており、そうした信仰や参詣と関係があるように感じられます。ひょっとすると、当時の道は現道より上に付けられていたのかもしれません。 場所は秋元町との境界近く、西林寺の入口から少し北にある道の分岐を北東に入ったところです。 |
「掃除場」ってなに?――比叡山の信仰と文化を探る |
比叡山にある寺院諸堂のなかで、鷄足院(正しくは奚に隹)や定光院・龍禪院にかかわる石造標石として、「掃除場」があります。 どれも横川に属する寺院ですが、この「掃除場」とはどういう場所なのでしょうか。横川をめざす八瀬道・峰道で、これまでに確認できたのは5箇所です。すべて、浄刹結界から横川までの道筋に設けられています。ご存じの方がおられましたら、ぜひお教えください。現在の定光院にもお尋ねしましたが、わかりませんでした。修行者ではなく、信仰する人々の集団(講)にかかわるものだと推定されます。 2008年の春に刊行された『比叡山諸堂史の研究』(武 覚超 法藏館)によると、「当該寺院が担当する掃除の区域」を表わしているようです。横川の他の寺院にはなかったのでしょうか。2枚目の写真は、不二門旧跡近くにある判読できない標石。江戸時代の信者の数などを考えると、この他にも地中に埋もれているものが数多くあるように思われます。講の中で、どういう意味や位置づけがされているのでしょうか。 |
上=「從是西 定光院掃除場」と記された標石(他に、「西一丁」など距離が示されたものもあります。) |
中=不二門近くの標石。「從是西」までは読めますが、その下は土に埋もれているため不明 |
下=元三大師道二十六町の標石。その東側面に「從是西 龍禪院掃除場」と彫られています |
踏査に参加しませんか?――比叡山の歴史と自然を探る |
比叡山延暦寺と、それぞれの地域や財産区などを分ける境界には、ここに掲載したような「境界石」がいくつも置かれています。 延暦寺では土地の境界を明確にするため、ここ数年にわたって切り開きや標識の設置を行なっているようです。現在、各地で赤く塗られた杭を見ることができます。そのポイントをつないでいけば、自然林と植林地の分布状況などが浮かび上がってくるでしょう。 また、江戸時代に周辺地域と紛争になった記録がいくつも残っており、そうした遺物を調べることもおもしろいと思います。実際に歩かれた記録や調査の報告(地図にプロットしたものなど)を、ぜひお知らせください。みなさんの力で、地図上に再現できればと考えています。 これまで埋もれていた歴史の一コマが、発見できるかもわかりません。 |
上=「從是西八瀬持山」と記された標石(四明ヶ岳・西山) 領地に面して「山門領」(左下)・「八瀬持山」(右下)と彫られた境界石 |